吉川経光
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 建久3年(1192年) |
死没 | 文永4年9月17日(1267年10月6日) |
改名 | 経光→慈願(法名)[1] |
別名 | 弥次郎または左衛門次郎、弥二郎[1]、恒光[1] |
官位 | 左衛門尉[1] |
主君 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 藤原南家工藤流吉川氏 |
父母 | 父:吉川朝経[1] |
子 | 経高[1]、経盛[1]、経茂[1]、経信[1]、経時 |
吉川 経光(きっかわ つねみつ)は、鎌倉時代中期の武士、御家人。吉川氏4代当主。
仁治元年(1240年)、父・吉川朝経が死去。この時の経光の年齢は49歳であり、それ以前に家督を相続していたと思われる。
承久3年(1221年)の承久の乱で鎌倉幕府側として参戦しており、京都の宇治橋の戦いにて戦功を挙げた。本領の駿河国吉河荘、播磨国揖保郡福井荘に加えて、安芸国大朝本荘の地頭職[2]に任ぜられた。
経光の子らが安芸吉川氏、石見吉川氏、播磨吉川氏、駿河吉川氏、境吉川氏の祖となった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
- 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:84027305。
- 北広島町史
- 中国新聞社『歴史紀行 安芸吉川氏』新人物往来社、1988年6月。ISBN 4-404-01517-8。
- 萩藩閥閲録
外部リンク
[編集]- 『吉川経光』 - コトバンク
- 吉川経光 - Webcat Plus