古郡家1号墳
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古郡家1号墳 | |
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部) | |
所属 | 古郡家古墳群 |
所在地 | 鳥取県鳥取市古郡家(字上ノ山) |
位置 | 北緯35度27分5.16秒 東経134度14分0.91秒 / 北緯35.4514333度 東経134.2335861度座標: 北緯35度27分5.16秒 東経134度14分0.91秒 / 北緯35.4514333度 東経134.2335861度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長92.5m |
埋葬施設 |
粘土槨1基 箱式石棺2基 |
出土品 | 副葬品多数・埴輪 |
築造時期 | 4世紀末 |
史跡 | なし |
有形文化財 | 出土遺物(鳥取県指定文化財) |
特記事項 | 因幡地方第1位の規模 |
地図 |
古郡家1号墳(ここおげいちごうふん)は、鳥取県鳥取市古郡家にある古墳。形状は前方後円墳。古郡家古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。出土遺物は鳥取県指定保護文化財に指定されている。
因幡地方(鳥取県東部)では最大規模の古墳で、4世紀末(古墳時代中期初頭)頃の築造と推定される。
概要
[編集]鳥取県東部、鳥取平野南縁の低丘陵(通称「上ノ山」)上に築造された古墳である[1]。1957年(昭和32年)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を北北東方向に向ける[2][1]。墳丘は2段築成[2]。墳丘長は92.5メートルを測り、因幡地方(鳥取県東部)で最大規模になる[3]。墳丘外表では円筒埴輪・朝顔形埴輪による埴輪列のほか、形象埴輪(家形・盾形埴輪)、葺石が認められている[2][1]。主体部の埋葬施設は、後円部中央における粘土槨1基・箱式石棺2基の計3基からなり、発掘調査ではこれらの埋葬施設から多量の副葬品が検出されている[1]。築造時期は古墳時代中期初頭の4世紀末頃の築造と推定され[1]、一帯では南東の六部山3号墳(墳丘長65.5メートル、因幡地方最古級の前方後円墳)に後続する有力首長墓に位置づけられる古墳である[4]。
出土遺物は2014年(平成26年)に鳥取県指定保護文化財に指定されている[3]。
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては、後円部に3基が認められている。3基の埋葬方向は、いずれも墳丘主軸に直交する東西方向[1]。
- 中央棺
- 南棺
- 北棺
文化財
[編集]鳥取県指定文化財
[編集]鳥取県指定保護文化財「古郡家1号墳出土遺物一括」の明細
- 八ツ手葉形銅製品 1面
- 玉類
- 翡翠勾玉 1箇
- 碧玉製管玉 1箇
- 緑色凝灰岩製管玉 18箇
- 土師器
- 甕 1箇
- 高杯 1箇
- 重圏文鏡 1面
- 長方板革綴短甲 1領
- 鉄剣 5本
- 鉄鏃
- 圭頭式 4本
- 逆刺柳葉式 2本
- 鑿頭式 18本
- 鉄製工具
- 刀子 3本
- ヤリガンナ 3本
- 鑿 1本
- 竪櫛 4箇
- 土師器壺 1箇
- 朱付き板石 1枚
- 埴輪 一括
- 円筒埴輪
- 家形埴輪
関連施設
[編集]- 鳥取県立博物館(鳥取市東町) - 古郡家1号墳の出土品を保管・展示。
周辺
[編集]- 中臣崇健神社 - 延喜式内社。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 平川誠「古郡家1号墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「古郡家一号墳」『日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名』平凡社、1992年。ISBN 4582490328。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 鳥取県立公文書館県史編さん室 編『古郡家1号墳・六部山3号墳の研究 -出土品再整理報告書-』鳥取県、2013年。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、古郡家古墳群に関するカテゴリがあります。