古田隆彦
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古田 隆彦(ふるた たかひこ、1939年12月1日[1] - )は、日本の社会学者。研究領域は広く、応用社会学、人口社会学、未来社会学、消費社会学、マーケティング論、生活学、消費者行動論、文明論など多岐にわたる[2]。
略歴
[編集]1939年、岐阜県恵那市に生まれる。1958年、愛知県立旭丘高等学校卒業。1963年、名古屋大学法学部卒業[2]。八幡製鐵株式会社(現・日本製鉄株式会社)に入社。1971年、株式会社社会工学研究所(黒川紀章、香山健一、佐藤誠三郎、公文俊平が立ち上げ、牛尾治朗がバックアップしたシンクタンク[3])に入社、1975~1984年、取締役・研究部長。1984年、現代社会研究所を設立[2]、所長に就任。同年より青森大学社会学部助教授、教授を兼任(2010年まで)。2013年、青森大学名誉教授。
この間、運輸省・運輸政策審議会専門委員、文部省・長期教育計画研究者協力会議委員、 郵政省・文字画像情報電子流通研究会委員、建設省「新東北紀」懇談会委員、北海道開発庁・生活・社会研究会委員、東京都「東京ブランド」検討委員会委員長、 青森県政策マーケティング委員会委員長、日本生活学会常任理事事務局長などを歴任[2]。
研究歴
[編集]- 生産管理・経営計画研究(1964~1970年)
- 八幡製鐵・八幡製鐵所で習得したOR(オペレーションズ・リサーチ)、IE(科学的管理法)、QC(品質管理) を基盤に、光製鐵所にて「多品種少量生産管理システム」を研究・開発。同社本社にて、新日鉄発足後の「長期販売計画」立案に参画し、長期経営計画の諸手法を研究。
- 日本語表現法研究(1970~1971年)
- 大宅壮一東京マスコミ塾第10期生として、文章構成法、用語選定法などの文章作法を研究。その成果を、社会工学研究所の報告書や現代社会研究所の著作物などに応用。
- 未来予測手法研究(1971~1984年)
- 社会工学研究所(牛尾治朗社長、黒川紀章所長)にて、未来学や未来予測手法を研究。主な実績に、デルファイ法による「日本列島改造論に関する合意と提言」(1972年、内閣委託)、システムダイナミックス・モデルによる「日本列島における人口分布の長期時系列予測」(1974年、国土庁委託)、エコノメトリックス・モデルによる「RAPモデルの研究・開発」(1977~1983年、大蔵省委託)、クロスインパクト・マトリックス法による「1980年代に望む日本の選択」(1977年、内閣委託)などがある。
- 都市計画手法研究(1971~1984年)
- 社会工学研究所にて、都市開発、都市計画の諸手法を研究。主な実績に「Piano Regolatore Intercommunale,Comuni di Vasto e Sansalvo:ヴァスト・サンサルボ連合都市計画」(1973年、Comune di Vasto,Italy委託)、「鳥取県新中核都市建設基本構想」(1973年、鳥取県委託)、「新潟西海岸保全利用計画」(1975~1977年、新潟市委託)、「吉備高原都市建設基本計画」(1976年、岡山県委託)、「青森地域テクノポリス建設構想」(1983~1984年、青森県委託)などがある。
- 地域振興・合意形成手法研究(1971~1984年)
- 社会工学研究所にて、地域振興、合意形成などの諸手法を研究。主な実績に「都市間交通におけるV/S-TOL機の役割」(1971~72年、通商産業省委託)、「ビデオによる市民参加方式の開発に関する研究」(1978年、総合研究開発機構助成)、「松本市市民参加ビデオシステム」(1978~80年、放送文化基金助成)、「鳥取中部定住圏具体化のための市民参加番組の開発」(1980年、放送文化基金助成)、「文化に関する市民活動の実態調査」(1979年、内閣委託)、「地域発展のための科学技術振興に関する研究」(1981年、総合研究開発機構助成)などがある。
- 地域イメージ・ブランド・マーケティング研究(1984~2002年)
- 現代社会研究所所長として、地域・都市のイメージ向上戦略、地域ブランド戦略、マーケティング戦略を研究。主な実績に「東京都足立区北千住CI計画」(1986年、構想委員会副委員長)、「東京都港区文化施設基本構想」(1989年、構想委員会副座長)、「新東北紀宣言」(1992年、東北地方建設局・構想研究会委員)、「東京ブランド制定に関する調査」(1999年、東京都・調査委員会委員長)、「青森県政策マーケティング制定調査」(2000~2002年、青森県・調査委員会委員長)などがある。
- 人口問題基礎研究(1971~1984年)
- 社会工学研究所にて、歴史的人口推計手法、人口予測手法、人口動態・移動分析などを研究。主な実績に「日本列島における人口分布の長期時系列推計」(1973年、経済企画庁委託)、「日本列島における人口分布の長期時系列予測」(1974年、国土庁委託)、「人口のJ・Uターン現象における要因構造分析」(1975年、総合研究開発機構助成…Jターン現象、Uターン現象という言葉を初めて使用した報告書)、「人口分布変動のインパクト・アナリシス」(1976年、総合研究開発機構助成)、「国際人口移動に関する基礎研究」(1981年、総合研究開発機構委託)などがある。
- 理論人口学・人口生態学研究(1984~現在)
- 現代社会研究所にて、T.R.マルサス、J.ビラバン、R.G.ウィルキンソンなどの業績を継承し、人口現象の理論的、生態的、文明的な研究を推進。「人口変動は人口容量・人口抑制装置・人口波動(修正ロジスティック曲線)の相互関係で決まる」という「人口波動」説を提唱。その成果を『人口波動で未来を読む』(1996年)、『日本はなぜ縮んでゆくのか』(1999年)、『人口減少 日本はこう変わる』(2003年)、『日本人はどこまで減るか』(2008年)などの書籍で発表。
- 生活構造・消費構造研究(1974~現在)
- 日本生活学会会員(1974~1990年)として、1970年代後半から、文化人類学、現象学的社会学、ソシュール言語学、文化記号学、分析心理学、唯識論などを応用した、独自の「生活構成」分析を研究。その成果を1980年代からマーケティングに応用し、『ヒット商品のコンセプト・ノート』(1984年)、『象徴としての商品』(1986年)、『サービス産業の社会学』(1987年)、『生活市場最先端』(1988年)、『世紀末ヒット商品大予測』(1991年)、『定本・ヒットネーミング作法』(1992年)、『人口減少社会のマーケティング』(2003年)、『人口減少逆転ビジネス』(2005年)、『“増子・中年化”社会のマーケティング』(2008年)などの書籍で発表。
- マーケティング実践戦略研究(1984~現在)
- 現代社会研究所所長として、生活構造予測、消費需要予測、マーケティング戦略、産業振興戦略などを研究。その成果を応用し、自動車、電機、住宅・不動産、食品・飲料、繊維・アパレル、化学・薬品、化粧品、流通、外食、交通サービス、金融・保険などの業界団体や、多数の個別企業へ提案・指導。
著作
[編集]単著
[編集]- 『ヒット商品のコンセプト・ノート』(PHP研究所,1984年)
- 『象徴としての商品』(TBSブリタニカ,1986年)
- 『サービス産業の社会学』(PHP研究所,1987年)
- 『生活市場最先端』(ビジネス社,1988年)
- 『ボーダーレス・ソサイエティ』(PHP研究所,1989年)
- 『世紀末ヒット商品大予測』(日本経済新聞社,1991年)
- 『定本・ヒットネーミング作法』(日刊工業新聞社,1992年)
- 『人口波動で未来を読む』(日本経済新聞社,1996年)
- 『凝縮社会をどう生きるか』(日本放送出版協会,1998年)
- 『日本はなぜ縮んでゆくのか』(情報センター出版局,1999年)
- 『人口減少社会のマーケティング』(生産性出版,2003年)
- 『人口減少 日本はこう変わる』(PHP研究所,2003年)
- 『人口減少逆転ビジネス』(日本経営合理化協会,2005年)
- 『日本人はどこまで減るか』(幻冬舎新書、2008年)
- 『〈増子・中年化〉社会のマーケティング』(生産性出版,2008年)
- 『人口減少激活ビジネス』(Kindle版、2016年)
- 『平成享保・その先を読む: 人減定着日本展望』(Kindle版、2016年)
- 『人口減少逆張りビジネス』(日本経営合理化協会、2024年)
編著
[編集]- 『超感度都市渋谷』(PHP研究所,1990年)
- 『人口減少ショック』(PHP研究所,1993年)
共著
[編集]- 『感性消費・理性消費』(日本経済新聞社,1985年)
- 『生活学の方法』(ドメス出版,1986年)
- 『広告に携わる人の総合講座』(日本経済新聞社,1995年)
- 『マーケティング戦争』(誠文堂新光社,1995年)
- 『高齢化社会への対応』(経済広報センター,1996年)
- 『論争・少子化日本』(中公新書ラクレ,2001年)
- 『消費社会のリ・デザイン』(大学教育出版,2009年)
- 『人の死なない世は極楽か地獄か』(技術評論社,2011年)
脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.341
- ^ a b c d “現代社会研究所所長 青森大学社会学部名誉教授 古田隆彦(ふるたたかひこ)”. 日本経営合理化協会. 2024年12月15日閲覧。
- ^ 『時の光の中で』浅利慶太、文春文庫、2009年1月10日、p264