古田重治
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正6年(1578年) |
死没 | 寛永2年11月25日(1625年12月24日) |
戒名 | 江雲院殿古山道輝大居士 |
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 |
官位 | 従五位下大膳大夫、大膳亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠 |
藩 | 伊勢松坂藩主、石見浜田藩主 |
氏族 | 古田氏 |
父母 | 古田重則、古田重勝 |
兄弟 | 重勝、重忠、重治 |
妻 | 丹羽長秀娘円光院 |
子 | 古田重恒正室、重延、青木直澄正室、重恒 |
古田 重治(ふるた しげはる)は、江戸時代前期の大名。伊勢国松坂藩2代藩主、石見国浜田藩初代藩主。
生涯
[編集]天正6年(1578年)、羽柴秀吉の家臣だった古田重則の三男として生まれる。父の死後、家督は長兄の重勝が継いでいたが、重勝が慶長11年(1606年)に死去した際、重勝の子である希少丸(後の重恒)が4歳と幼かったことから、重治が跡を継ぐこととなった。元和5年(1619年)2月13日に伊勢松坂から石見浜田へ移封された。元和6年(1620年)2月から3年かけて浜田城とその城下町を完成させた。また、浜田川、浅井川の治水工事に務めている。元和9年(1623年)5月、家督を重恒に譲って江戸で隠居した。寛永2年(1625年)11月25日(異説として11月9日)、江戸で死去した。享年48。