及川完
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及川 完(おいかわ まさる[1]/かん[2]、1916年[1] – 1947年4月10日[3])は日本の歴史学者。専門は日本経済史[1]。東京商科大学助教授、東亜経済研究所員[4]。
略歴
[編集]岩手県江刺郡岩谷堂町(現:奥州市)出身[5][6]。岩手県立盛岡中学校を卒業[7]後、1930年、東京商科大学大学予科に入学[8]。1933年に卒業[9]し、大学学部に入学する[10]。同期入学に大平正芳がいた[11]。村松恒一郎のゼミで学び[3]、1936年3月に学士試験合格[12]。1937年から1939年まで京城高等商業学校助教授 [13]。その後、日本工業倶楽部調査室勤務[13]を経て、1941年に東京商科大学助手に任命される[14]。同大学では、日本経済史担当の後継者として、川上多助の指導を受けていた[3]が、1943年に応召。1944年に助教授に任命される[15]ものの、戦後、ソ連で抑留される。1959年になって、1947年にイルクーツク州チエレンホーヴォ地区ジマ病院[16]で戦病死したことが伝えられた[17]。
脚注
[編集]- ^ a b c 日本学術振興会 1956
- ^ 足達丑六 1938
- ^ a b c 増淵龍夫、渡辺金一「一橋学問の伝統と反省 : 経済史」『一橋論叢』第34巻第4号、1955年、441-454頁、CRID 1390853649793178240。
- ^ 『官報』第5304号、昭和19年9月16日、p.209. NDLJP:2961806/5
- ^ 泉舘留八、北田裕司 編『白堊校の春秋 岩手県立盛岡中学校 第四十四回生回想記』白堊四四会、1981年9月、8頁。doi:10.11501/12114329。
- ^ 「シベリア抑留で死亡の卒業生、学生 有志ら調査 足跡を紹介 一橋大であすまで企画展」『東京新聞』2019年11月23日。オリジナルの2024年8月15日時点におけるアーカイブ。2024年8月15日閲覧。
- ^ 木村武 1981
- ^ 『官報』第1001号、昭和5年5月5日、p.106. NDLJP:2957468/6
- ^ 『東京商科大学一覧 昭和9年度』東京商科大学、1934年9月30日、320頁。NDLJP:1451080/180。
- ^ 『東京商科大学一覧 昭和10年度』東京商科大学、1935年9月30日、246頁。NDLJP:1451097/139。
- ^ 『東京商科大学一覧 昭和10年度』東京商科大学、1935年9月30日、247頁。NDLJP:1451097/139。
- ^ 『東京商科大学一覧 昭和11年度』東京商科大学、1936年12月15日、296頁。NDLJP:1451113/166。
- ^ a b 京城高等商業学校 編『京城高等商業学校一覧 昭和14年度』京城高等商業学校、1939年9月30日、75頁。NDLJP:1462017/45。
- ^ 『東京商科大学一覧 昭和16年度』東京商科大学、184頁。NDLJP:1451162/99。
- ^ 『官報』第5301号、昭和19年9月13日、p.172. NDLJP:2961803/3
- ^ 〜旧ソ連邦及びモンゴル抑留中死亡者名簿〜資料未提供者名簿(2024年1月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 「一橋大学編年史(自昭和20年8月至昭和40年4月)」『一橋論叢』第54巻第3号、325頁、CRID 1390853649792683008。