原秀三郎
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人物情報 | |
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生誕 |
1934年10月26日 日本静岡県下田市 |
出身校 | 静岡大学、京都大学 |
学問 | |
研究分野 | 日本史(日本古代史) |
研究機関 | 奈良国立文化財研究所、静岡大学、千葉大学 |
学位 | 文学博士 |
原 秀三郎(はら ひでさぶろう、1934年10月26日[1]- )は、日本の歴史学者。静岡大学名誉教授。日本古代史専攻。
経歴
[編集]1934年、静岡県下田市に生まれた。 1953年3月、静岡県立下田北高等学校を卒業。静岡大学文理学部史学専攻で学び、内藤晃に考古学や日本史を学んだ。1958年3月、同大学を卒業。京都大学大学院文学研究科に進み、岸俊男に師事。1965年3月に博士課程国史学専攻を満期退学した。
その後は奈良国立文化財研究所に研究員として勤務。1989年、学位論文『日本古代国家史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得[2]。静岡大学人文学部助教授となり、後に教授昇格。1998年に静岡大学を退官し、名誉教授となった。その後は千葉大学文学部教授として教鞭をとった。2000年に千葉大学を定年退官。
- 政歴
2000年6月 下田市長選挙に公明党・共産党推薦無所属で立候補し落選。得票7745。2人中2位。(当選者石井直樹(2000年~2012年、3期)。得票10567)
受賞・栄典
[編集]研究内容・業績
[編集]専門は日本古代史。大化改新否定論で名を馳せる。友人芝原拓自に導かれてマルクス理論の研究、アジア的生産様式論争に関する学説をたてた。
一方で、近年は180度方向転換し、田中卓の学説を支持して「敬神愛国」をスローガンに掲げ古典解読に取り組んでいる。これは、田中の『伊勢神宮の創祀と発展』に接し、これに反論することができず実力を認めた、しかし当時は皇學館大学の学者の説を認めることは簡単にできず、稲荷山古墳出土鉄剣銘の出現などによって、いいものはいいとはっきり言えるようになった、という[6]。
著作
[編集]- 著書
- 共著
- 『大系日本国家史 1 古代』共著 東京大学出版会 1975
- 『古代の日本 第7巻 新版 中部』小林達雄共編 角川書店 1993
- 『形の文化誌 4 シンボルの物語』今橋理子・小野健一・若杉準治・荒川紘共著、形の文化会『形の文化誌』編集委員会編 工作舎 1996
- 『石母田正と戦後マルクス主義史学 アジア的生産様式論争を中心に』原秀三郎述、磯前順一・磯前礼子編、三元社 2019
脚注
[編集]- ^ 『現代日本人名録』
- ^ CiNii(学位論文)
- ^ 伊豆地区は13人−春の叙勲伊豆新聞 伊東版 2014年4月29日
- ^ 春の叙勲−伊豆地区の受章者伊豆新聞 伊東版 2014年4月29日
- ^ “平成26年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者”. 内閣府. p. 16 (2014年4月29日). 2015年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月17日閲覧。
- ^ 原秀三郎「大和王権の歴史的性格」(『史友』34,2002 青山学院大学史学会委員会)