南都雄二
なんと ゆうじ 南都 雄二 | |
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朝日放送『ABC』(1956)より南都雄二(上)とミヤコ蝶々(下) | |
本名 | 吉村 朝治 |
別名義 |
鈴夫 上方トンボ |
生年月日 | 1924年4月26日 |
没年月日 | 1973年3月19日(48歳没) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市 |
職業 | 俳優・漫才師 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ |
配偶者 | ミヤコ蝶々(1947年 - 1958年) |
南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26日 - 1973年〈昭和48年〉3月19日)は昭和後期の上方の漫才師、俳優。本名は吉村 朝治(よしむら ちょうじ)。大阪府大阪市生まれ。大阪電機学校卒業。
ミヤコ蝶々との漫才コンビ「蝶々・雄二」として知られ、「夫婦善哉」の司会で人気を博した。
生涯・来歴
[編集]1941年に大阪電機学校を卒業した。戦後、大阪中央郵便局の電気係を経て、三遊亭柳枝主宰の柳枝劇団に参加し、照明部で裏方をしていた。その後演者側に回り、看板女優だったミヤコ蝶々の弟子となり「鈴夫」と名乗る。
1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、1948年、柳家三亀松の改名の提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成した。後に夢路いとしに相談して南都雄二に改名した。(漢字があまり読めず周りに「何という字?」とよく尋ねたことからついたと言われる。)
1952年、秋田實・小林一三の宝塚新芸座に参加し、夢路いとし・喜味こいしや秋田Aスケ・Bスケ、笑福亭松之助らと舞台俳優としても活動する。その後、「漫才学校」「夫婦善哉」(いずれもABCラジオ)の司会などで「男前の雄さん」として人気者となる。
蝶々との夫婦仲や芸名の由来などについては、ミヤコ蝶々の項を参照。
映画俳優として、東映や大映の映画に数多く出演した。特に勝新太郎主演の『悪名』や『兵隊やくざ』ではシリーズで出演している。「姉さん女房」の蝶々とのイメージからか、女の尻に敷かれ、少々頼りない男のような役どころが多かった。
夜遊び、夜の豪遊は語り草になっており「キタの雄二(南都雄二)かミナミのまこと(藤田まこと)、東西南北藤山寛美」といわれるほどであった。
没後、ミヤコ蝶々・南都雄二として2006年に第11回上方演芸殿堂入りしている。
出演番組
[編集]- 蝶々・雄二の夫婦善哉(ABCラジオ・テレビ)
- スチャラカ社員(ABCテレビ)
- 雄さんの編集長(MBSテレビ)
- ユーモア航路(関西テレビ)
- ハイ!土曜日です(関西テレビ)
- しあわせは一ぱい(よみうりテレビ)
- ハイ!次の方(よみうりテレビ)
- 続・のれん太平記 第2シリーズ(フジテレビ) - 生駒半次郎
出演映画
[編集]- 弥次喜多漫才道中 化け姫騒動の巻(1955年・宝塚映画)
- 同・腰抜け一家の巻(同)
- 漫才長屋は大騒ぎ(1956年・宝塚映画)
- 漫才長屋に春が来た(同)
- 漫才学校シリーズ(1956年・松竹京都)
- 第一部・爆笑八人組
- 第二部・ガヤガヤホテル
- 第三部・ゴリラ大暴れ
- お父さんはお人好し・産児無制限(1956年・大映京都)
- 漫才提灯(同)
- 青空娘(1957年・大映京都)
- 歌う弥次喜多・黄金道中(1957年・松竹京都)
- 喧嘩も楽し(1958年、東宝配給、宝塚映画)
- お笑い夫婦読本(1958年・宝塚映画)
- 大当り狸御殿(同)
- 野良猫(1958年 東宝配給、宝塚映画)
- やりくりアパート・びっくり大放送(1959年・宝塚映画)
- かた破り道中記(1959年・松竹京都)
- 風雲将棋谷(1960年・大映京都)
- 河内風土記・続おいろけ説法(1961年・宝塚映画)
- 喜劇・団地親分(1962年・松竹大船)
- 河内風土記・おいろけ繁盛記(1963年・宝塚映画)
- 青い目の花嫁はん(1964年・松竹京都)
- 日本侠客伝(1964年・東映京都)
- 忍法忠臣蔵(1965年・東映京都)
- 蝶々・雄二の夫婦善哉(同)
- 任侠木曽鵜(同)
- てなもんや東海道(1966年・宝塚映画)
- スチャラカ社員(1966年・松竹大船)
- 尼寺(秘)物語(1968年・東映京都)
- 温泉あんま芸者(同)
演じた俳優
[編集]- 芦屋雁之助
- 桂小米朝(心はいつもラムネ色)
- 中山秀征(ミヤコ蝶々物語、テレビ大阪版) ※ミヤコ蝶々役は石田ひかり
- 山本太郎(ミヤコ蝶々ものがたり、テレビ朝日版) ※ミヤコ蝶々役は久本雅美
- 風間トオル(女ひとり)
- 山崎樹範(鈴子の恋)