南部瑞子
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南部 瑞子(なんぶ みずこ、1908年(明治41年)1月14日 - 1980年(昭和55年)10月30日)は、盛岡南部家の女性。第43代当主の伯爵南部利淳の長女で、第44代当主の伯爵南部利英の夫人。ガールスカウト日本連盟本部理事を務めた。
経歴
[編集]明治41年(1908年)、盛岡南部家当主南部利淳の長女として岩手県盛岡市にて生まれる[1]。昭和2年(1927年)、女子学習院を卒業する[1]。昭和4年(1929年)、公爵一条実輝の三男實英(南部利英)と結婚、婿養子に迎える[2]。夫妻は三男四女をもうけた。昭和5年(1930年)、秩父宮妃が来盛し、共に南部邸の池でボート遊びをしていたところボートが転覆し、周囲を慌てさせたというエピソードが残っている[2]。昭和11年(1936年)には義理の妹に当たる閑院宮妃が来盛し、南部邸を訪問している[2]。
終戦後しばらくして、盛岡から渋谷区千駄ヶ谷に転居。昭和30年(1955年)、ガールスカウト日本連盟本部理事に就任し、長くこれを務めた[1]。また、夫の利英と共に在京岩手県人会の顧問も務めた。
家族
[編集]- 夫:南部利英
- 父:南部利淳 母:南部嚴子(鳥取池田家当主、侯爵池田輝知の三女)
- 弟:南部利貞
- 子:南部利久、南部利博、南部利昭、淑子、和子、敦子、文子
- 孫:南部利文、南部利忠、泰子
- 叔父:南部利祥
- 叔母:毛利庸子(徳山毛利家当主、子爵毛利元功の長男、子爵毛利元秀の妻)
出典:『岩手人名大鑑(1965)』及び『岩手人名大鑑(1976)』