南輪内村
表示
みなみわうちむら 南輪内村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年6月20日 |
廃止理由 |
新設合併 北牟婁郡尾鷲町、須賀利村、九鬼村、南牟婁郡北輪内村、南輪内村 → 尾鷲市 |
現在の自治体 | 尾鷲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
郡 | 南牟婁郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,689人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
北牟婁郡尾鷲町 南牟婁郡北輪内村、荒坂村、新鹿村、飛鳥村 |
南輪内村役場 | |
所在地 | 三重県南牟婁郡南輪内村 |
座標 | 北緯33度57分57秒 東経136度11分47秒 / 北緯33.96589度 東経136.19633度座標: 北緯33度57分57秒 東経136度11分47秒 / 北緯33.96589度 東経136.19633度 |
ウィキプロジェクト |
南輪内村(みなみわうちむら)は、かつて三重県南牟婁郡にあった村。現在の尾鷲市の南端にあたる。
地理
[編集]- 海域
- 熊野灘 賀田湾
- 山岳
- 亥谷山
- 河川
- 古川
- 岬
- 神須ノ鼻
歴史
[編集]1871年(明治4年)には渡会県に属したが、1876年(明治9年)には三重県の所属で落ち着いた。1879年(明治12年)には牟婁郡が分割されて北牟婁郡と南牟婁郡が発足し、この地域は南牟婁郡に含まれた。1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、古江浦・賀田村・曽根浦・梶賀浦の区域をもって南牟婁郡南輪内村が発足した。
1936年(昭和11年)4月3日、南輪内村賀田から飛鳥村小又に至る鳥越林道が開通した[1][2]。1954年(昭和29年)6月20日、南輪内村・北輪内村・北牟婁郡尾鷲町・須賀利村・九鬼村が合併して尾鷲市が発足し、同日には南輪内村が廃止された。
行政
[編集]歴代村長
[編集]- 1889年(明治22年) - 1890年(明治23年) 杉下寅太郎
- 1890年(明治23年) - 1892年(明治25年) 大川佐一郎
- 1892年(明治25年) 西崎立敬
- 1892年(明治25年) - 1896年(明治29年) 山門源吉
- 1896年(明治29年) - 1898年(明治31年) 森本半十郎
- 1898年(明治31年) - 1900年(明治32年) 大川保嘉
- 1900年(明治33年) - 1902年(明治35年) 弓場国次郎
- 1902年(明治35年) - 1904年(明治36年) 森本半十郎
- 1904年(明治37年) - 1906年(明治39年) 浜中精次郎
- 1906年(明治39年) - 1911年(明治44年) 弓場国次郎
- 1911年(明治44年) - 1916年(大正5年) 大川佐一郎
- 1916年(大正5年) - 1919年(大正8年) 中森林助
- 1919年(大正8年) - 1920年(大正9年) 森助左衛門
- 1920年(大正9年) 中森林助
- 1920年(大正9年) 中森才吉
- 1920年(大正9年) - 1943年(昭和18年) 浜中広之輔
- 1943年(昭和18年) - 1947年(昭和22年) 西仁郎
- 1947年(昭和22年) - 1951年(昭和26年) 大川庄六
- 1951年(昭和26年) - 1954年(昭和29年) 小川権三郎
出典 : 『尾鷲市史 下巻』[3]
交通
[編集]尾鷲市発足後の1959年(昭和34年)7月15日には国鉄紀勢本線が全通し、かつての南輪内村の村域に賀田駅が開業した。
道路
[編集]- 国道170号(現・国道42号)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、1983年
- 『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年
- 尾鷲市役所『尾鷲市史 上巻』尾鷲市役所、1969年
- 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年