千苅ダム
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千苅ダム | |
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所在地 | 兵庫県神戸市北区道場町生野字大岩嶽 |
位置 | |
河川 | 武庫川水系羽束川 |
ダム湖 | 千苅水源池 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | 重力式コンクリートダム |
堤高 | 42.4 m |
堤頂長 | 106.7 m |
堤体積 | 41,000 m3 |
流域面積 | 94.5 km2 |
湛水面積 | 112.0 ha |
総貯水容量 | 11,717,000 m3 |
有効貯水容量 | 11,612,000 m3 |
利用目的 | 洪水調節、上水道 |
事業主体 | 神戸市 |
施工業者 | 神戸市 |
着手年 / 竣工年 | 1914年 / 1919年 |
備考 | 洪水調節用ゲート取付け工事2019年-2022年 |
千苅ダム(せんがりダム)は、兵庫県神戸市北区にある、二級河川・武庫川水系羽束川に建設されたダム。
概要
[編集]神戸市が管理する高さ42.4mの「重力式粗石モルタル積ダム」で、神戸市への上水道供給を目的とした市内最大のダムである。
堰堤は1919年(大正8年)竣工で、17門のスライドゲートは日本最古。国の登録有形文化財に登録されているほか、土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」や厚生労働省の「近代水道百選」にも選定されている。このダムからは神戸水道を通じて神戸市までの送水管(水道)で結ばれており、神戸市民へ供給されている。また1967年(昭和42年)からは武庫川沿いに建設された千苅浄水場にも送水されており(画像中央の導水官は千苅浄水場への専用送水官)神戸市北区などの飲料水として供給されている。ダムによって形成された人造湖・千苅水源池(せんがりすいげんち)周辺は、観光地として親しまれている。
地理
[編集]羽束川と波豆川がダム湖で合流しダムの2km下流で武庫川に注ぐ。ダムは神戸市北区に位置するが、ダム湖は宝塚市・三田市にもおよび、ほとんどは宝塚市に属する。
沿革
[編集]神戸市の上水道不足を受け、布引五本松ダム、立ヶ畑ダムに続いて建設された。
- 1906年(明治39年)羽束川の千苅が候補に挙がる。
- 1909年(明治42年)建設が神戸市会を通過。
- 1910年(明治43年)水没地区の大半を占める川辺郡西谷村(現:宝塚市)の波豆集落が反発。
- 1911年(明治44年)神戸市が予備工事着工。
- 1912年(明治45年)波豆集落が神戸市水道拡張対抗対抗委員を結成、堰高の半減による水没地区の縮小を神戸市に陳情。
- 1914年(大正3年)神戸市が若干の堰高低減を受け入れ、着工。地権者に用地買収価格と移転料を通知、強制収用。
- 1919年(大正8年)竣工。
- 1926年(大正15年)20尺の堰堤嵩上げ工事着工。
- 1931年(昭和6年)工事完了。
- 2019年(令和元年)武庫川の洪水対策として洪水調節機能をもたせるため、副堤にゲートを設置する工事を起工[1]
- 2022年(令和4年)副堤のゲート取付け工事が竣工する[2]
住宅22戸と面積23町の土地が水没。その後、神戸市と村民とは和解が成立。
観光・周辺
[編集]その他
[編集]- ダム敷地内には多くの枝垂桜などが植樹されており、春の桜開花の時期にあわせて千苅さくら祭が催され、その時期に一般開放されている。最寄駅はJR道場駅から徒歩約20分。
- 建設当時は道場停車場(現、JR道場駅)からトロッコ軌道がダムの真下まで敷設されており、建設現場への建設資材搬入や工員の輸送に使われていた。
脚注
[編集]- ^ “【事前防災の新たなシンボル】兵庫県・千苅ダムに新たな放水設備を設置 治水活用事業が起工”. 建設通信新聞Digital (2019年12月3日). 2024年3月21日閲覧。
- ^ “千苅ダム治水活用工事竣工式 - 豊国工業株式会社” (2022年6月9日). 2024年3月21日閲覧。
参考資料
[編集]- 『宝塚市史』宝塚市教育委員会