千綿村
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ちわたむら 千綿村 | |
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廃止日 | 1959年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 彼杵町、千綿村 → 東彼杵町 |
現在の自治体 | 東彼杵町、大村市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,416人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
大村市、東彼杵郡彼杵町 佐賀県藤津郡嬉野町 |
千綿村役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡千綿村瀬戸郷1204番地 |
座標 | 北緯33度01分11秒 東経129度56分28秒 / 北緯33.01972度 東経129.94108度座標: 北緯33度01分11秒 東経129度56分28秒 / 北緯33.01972度 東経129.94108度 |
ウィキプロジェクト |
千綿村(ちわたむら)は、長崎県東彼杵郡の中部にあった村。1959年(昭和34年)に北隣[1]の彼杵町と合併し、東彼杵町となった。
現在の東彼杵町の南部にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡千綿村が単独村制にて発足。
- 明治末期 - 大野原牧場(太ノ浦郷)が陸軍省に買収され、演習場となる。(現・陸上自衛隊大野原演習場)
- 1928年(昭和3年)4月20日 - 当村域に日本国有鉄道長崎本線(後に分離され大村線)の千綿駅が開業。
- 1949年(昭和24年)5月25日 - 昭和天皇が村役場に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[3]。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 彼杵町と合併して東彼杵町が発足し、自治体として消滅。
- 1963年(昭和38年)- 東彼杵町の武留路郷(旧千綿村)が大村市に編入。
地名
[編集]郷を行政区域とする。千綿村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
- 蕪郷(かぶら)
- 木場郷(こば)
- 里郷
- 宿郷(しゅく)[4]
- 瀬戸郷
- 駄地郷(だじ)
- 太ノ浦郷
- 遠目郷
- 中岳郷
- 八反田郷(はったんだ)
- 一ツ石郷
- 平似田郷
- 武留路郷(むるろ)
産業
[編集]漁業および農業を主産業とする。特に江戸期より続く茶業が盛んな地域である。
交通
[編集]鉄道
[編集]名所・旧跡
[編集]- 小峠古墳
- 四十八潭
- 龍頭泉
千綿村出身の著名人
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1959年1月15日
- ^ 鹿丸の読みは「かのまる」。鹿ノ丸池、金丸池とも表記。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、102頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 隣接する彼杵町に同名の郷が存在する。東彼杵町発足後、千綿宿郷に改称。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、354-387頁 。 - Google ブックス