千種寮
表示
千種寮(ちぐさりょう)は、千葉工業大学が設置・管理していた学生向けの学生寮(男子寮)である。千葉工業大学の学生寮の歴史は1942年(昭和17年)の旧制大学時代までさかのぼる。現在の千種寮は旧制大学時代から数えて6代目にあたり、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)にかけて千種校地に建設され2015年まで50年の歴史を歩み閉寮した。
2015年より、千葉県習志野市にある千葉工業大学新習志野キャンパス内に7代目の桑逢寮が開寮した。[1]
寮のモットーは、共に起き、共に食い、共に歌ひ、共に働き、共に遊ぶ[2]
概要
[編集]沿革
[編集]- 1960年(昭和35年) - 財団法人千葉工業大学が千種校地を買収
- 1963年(昭和38年)8月23日 - 財団法人千葉工業大学が「施設整備5カ年計画」を発表、千種寮建設構想が出る
- 1963年(昭和38年)9月15日 - 第1棟の建設が着工され、千種寮の建設が始まる
- 1964年(昭和39年)4月11日 - 1号棟が完成し150名が入寮
- 1965年(昭和40年)- 2号棟が完成
- 1966年(昭和41年)- 3号棟が完成
- 1967年(昭和42年)- 4号棟が完成、千種寮の建設が完了
- 2009年(平成21年)1月24日 - 寮内で集団食中毒事件が発生[3]
主な年間行事
[編集]- (春季休業期間)
- (夏季休業期間)
- 9月 - 交通安全講習会
- 10月 - 千種寮祭
- 12月 - 4年生歓送会
- (冬季休業期間)
- 1月 - 寮生表彰式
1年間を通して1か月に1回程度、寮生総会が開かれる。寮友会が主体となり棟別対抗の競技会や祝賀会などがある。
千種寮歌
[編集]- 『清らかなる』 - 1965年(昭和40年) 石蔵純生(電子工学科4年)作詞・作曲、吉田精一 補訂
- 『千種よ』 - 1965年(昭和40年) 小倉玲子(千種寮勤務事務職員)作詞・作曲、吉田精一 補訂
- 『ふるさと遠く』 - 1965年(昭和40年) 佐藤勝三(電子工学科4年)作詞・作曲、吉田精一 補訂
寮歌以外に各棟ごとに棟歌があり寮祭などのイベントの時に唱歌される。
周辺
[編集]- 千葉県立犢橋高等学校
- 千葉市立犢橋中学校
- 千葉北警察署
- こてはし温水プール
- 柏井浄水場
アクセス・最寄駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 千葉工業大学ホームページより、学生寮(桑蓬寮・椿寮)
- ^ 千種寮では、大学の建学の精神のひとつである「塾教育の精神」を基調としている
- ^ “千葉工大学生寮で79人食中毒”. 産経新聞. (2009年1月29日). オリジナルの2009年2月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ “第50回千種寮祭開催について”. 千葉工業大学同窓会 (2013年10月9日). 2016年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 『千種寮40周年史』。
- 『千種寮諸規定集』。
- 原良輔、青木和也、鎌田元弘「学生のコミュニケーション力を向上させる教育寮と地域連携に関する考察 ‐千葉工業大学旧学生寮の成果を継承する新たな展開‐」『建築教育研究論文報告集』第15巻、2016年11月、13-19頁。