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千祥炳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千祥炳
誕生 (1930-01-29) 1930年1月29日[1]
日本
死没 (1993-04-28) 1993年4月28日(63歳没)
職業 詩人
言語 朝鮮語
国籍 大韓民国の旗 韓国
教育 ソウル大学校
活動期間 1949年 -
ジャンル
代表作 (鳥)、귀천(帰天)
デビュー作 갈매기(かもめ)
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千祥炳
各種表記
ハングル 천상병
漢字 千祥炳
発音: チョン・サンビョン
英語表記: Cheon Sang Byeong
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千 祥炳(Cheon Sang Byeong、チョン・サンビョン、1930年1月29日 - 1993年4月28日)は韓国詩人本貫潁陽千氏[2]。号は「深温」[1][3]

略歴

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1930年1月29日、日本の兵庫県に生まれる。1945年から韓国に戻り、慶尚南道馬山市に定着した。1949年に詩『공상(空想)』が、1952年『文芸』に『강물(川水)』、『갈매기(かもめ)』などの詩が推薦され作品活動をスタートした。千は文壇の最後の純粋詩人、変わり者と呼ばれ、宇宙の根源、死と彼岸、人生の苦しい現実などを圧縮した詩を主に書いた。装飾的な修辞や知的な操作を排除し、現実を超脱した姿勢を非常に簡潔かつ淡白に表現した。世俗的価値と人為的技巧ではなく、素朴で天真な詩意識を盛り込むことで、非常に個性的な世界を構築した詩人である。

年譜

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  • 1930年1月29日、日本の兵庫県に生まれる。[1]
  • 1934年、韓国に一度帰国したが、1940年再び日本に渡る。
  • 1945年、解放後、帰国して慶尚南道馬山市に定着した。
  • 1949年、馬山中学校で先生として詩人「金春洙」に出会う。詩『강물(川水)』を推薦で『文芸』に発表。
  • 1950年、朝鮮戦争の勃発後、米国通訳として勤務。
  • 1951年、ソウル大学校商科大学入学。
  • 1952年、『文芸』に『강물(川水)』、『갈매기(かもめ)』などの詩が推薦され発表。
  • 1967年、東ベルリン事件に巻き込まれ収監、宣告猶予される。
  • 1970年~1971年、姿を消し、死亡したと思われたため、友人たちによる初の詩集『(鳥)』発刊。
  • 1972年、結婚。
  • 1979年、詩集『주막에서(居酒屋で)』発表。
  • 1993年、4月28日死去。

代表作品

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  • 1971年、(鳥) [4][5]
  • 1979年、주막에서(居酒屋で)
  • 1984年、천상병은 천상 시인이다(千祥炳は真の詩人である)
  • 1987年、저승 가는 데도 여비가 든다면(あの世に行くために旅費が必要であれば)
  • 1989年、귀천(帰天)
  • 1991年、요놈 요놈 요 이쁜 놈(このこのかわいいやつ)
  • 1993年、나 하늘로 돌아가네(あの世に帰る)
  • 1996年、천상병 전집(千祥炳全集)

脚注

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  1. ^ a b c [1] NAVER(朝鮮語)2014年閲覧。
  2. ^ (102)영양 천씨(穎陽千氏)-73,118명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年10月19日). 2022年8月17日閲覧。
  3. ^ [2] 한국문학번역원 문인DB 천상병 2014年閲覧。
  4. ^ [3] NAVER(韓国現代文学大辞典) 2014年閲覧。
  5. ^ [4] NAVER(Doosan百科) 2014年閲覧。