十三浜村
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じゅうさんはまむら 十三浜村 | |
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廃止日 | 1955年3月30日 |
廃止理由 |
新設合併 十三浜村、橋浦村 → 北上村 |
現在の自治体 | 石巻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 本吉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 34.27 km2 |
総人口 |
4,896人 (『宮城県町村合併誌』、1955年3月29日) |
隣接自治体 |
本吉郡:志津川町 桃生郡:河北町、橋浦村 |
十三浜村役場 | |
所在地 | 宮城県本吉郡十三浜村 |
座標 | 北緯38度34分33秒 東経141度27分07秒 / 北緯38.57575度 東経141.45194度座標: 北緯38度34分33秒 東経141度27分07秒 / 北緯38.57575度 東経141.45194度 |
ウィキプロジェクト |
十三浜村(じゅうさんはまむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県本吉郡の南東部にあった村。現在の石巻市北上町十三浜にあたる。
十三浜とは相川浜・追波浜・小滝浜・小泊浜・大指浜・小指浜・白浜・立神浜・月浜・長塩屋浜・大室浜・小室浜・吉浜の計13部落の総称である。
沿革
[編集]行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 小笠原善雄 | 明治26年(1893年)4月24日 | 明治30年(1897年)4月23日 | |
2 - 3 | 佐藤六郎 | 明治30年(1897年)5月6日 | 明治35年(1902年)3月3日 | |
4 - 5 | 小笠原敬之進 | 明治35年(1902年)5月1日 | 明治37年(1904年)8月13日 | |
6 | 佐藤惣治 | 明治37年(1904年)8月30日 | 明治38年(1905年)2月11日 | |
7 - 10 | 佐藤六助 | 明治38年(1905年)5月29日 | 大正8年(1919年)10月29日 | |
11 | 高橋栄五郎 | 大正9年(1920年)1月10日 | 大正9年(1920年)6月3日 | |
12 | 高橋六助 | 大正9年(1920年)9月28日 | 大正11年(1922年)12月19日 | |
13 | 勝倉弥一郎 | 大正11年(1922年)12月20日 | 大正12年(1923年)2月27日 | |
14 | 西条多喜之助 | 大正12年(1923年)2月28日 | 大正13年(1924年)9月11日 | |
15 | 西条円七 | 大正13年(1924年)9月12日 | 大正14年(1925年)2月14日 | |
16 | 佐藤信嶽 | 大正14年(1925年)2月15日 | 大正14年(1925年)9月16日 | |
17 - 19 | 千葉捨治 | 大正14年(1925年)9月17日 | 昭和11年(1936年)11月20日 | |
20 - 21 | 加藤卯吉 | 昭和11年(1936年)11月21日 | 昭和16年(1941年)12月22日 | |
22 | 大槻弥四郎 | 昭和16年(1941年)12月23日 | 昭和21年(1946年)11月30日 | |
23 | 千葉勝三 | 昭和21年(1946年)12月1日 | 昭和22年(1947年)4月14日 | |
24 - 25 | 千葉重助 | 昭和22年(1947年)4月15日 | 昭和30年(1955年)3月29日 |
文化
[編集]十三浜は、日記「十三浜小指 八重子の日記」の舞台になっている。この日記は1949年から1952年にわたって、33歳で他界した[1]主婦が綴ったもの[2]。
観光
[編集]脚注
[編集]- ^ 佐々木八重子, 佐藤恵子, 宮内泰介, 髙﨑優子, 武中桂, 庄司知恵子『十三浜小指 八重子の日記』feb 2017 。「2012年~2013年"はてなブログ"「八重子おばあちゃんの日記」に脚注を加えて冊子化したものです。」
- ^ 河北春秋(12/2) - ウェブアーカイブ(ウェイバックマシン、2018年12月4日)
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)