北王英一
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北王 英一(きたおう えいいち、1900年7月7日 - 1993年12月18日[1])は、東山動物園の初代園長。太平洋戦争中に出された動物射殺命令を拒んでゾウを生かし、象列車を実現させたことで知られる。
略歴
[編集]1900年、京都の呉服商の家に生まれる。1923年に市立名古屋動物園に就職、1937年、同動物園が東山公園に移転した際に初代園長に就任した[2]。周囲の反対を押し切って、日本初の無柵式の放飼場を設置した。また、開園当初はゾウが1頭しかいなかったために、木下サーカスのゾウ4頭を購入した[3]。
1944年に入ると名古屋市も空襲を受け、治安維持を理由に大型獣に射殺命令が下るが、軍や警察を説得してマカニーとエルドの2頭のゾウと1頭のチンパンジーは生かしていた[4](ゾウは4頭いたが、キーコとアドンは寒さと栄養失調で戦中に死亡)。同様の理由で日本中のゾウが殺され、終戦後には日本にこの2頭のゾウしか生き残っていなかったため、とくに東京の子どもたちがゾウの寄贈を求めた。しかし北王は高齢の2頭の健康や絆の固さを理由にこれを拒む一方で、1949年には象列車を実現させた(象列車の経緯についてはその記事を参照のこと)。1963年秋に2頭のゾウが死ぬまで、毎晩必ずゾウに「ごくろうさん」と声をかけるなど、並々ならぬ愛情を注いでいた。
1951年には移動動物園や動物サーカス(ニコニコサーカス)を開始し、子どもたちに夢を与え続けるなどとくに名古屋市民の間では、上野動物園長の古賀忠道に匹敵するカリスマ性を誇った。1993年に93歳で死去。
注釈
[編集]- ^ “東山動物園初代園長、没後30年 平和、運び続けるゾウ列車:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年8月28日閲覧。
- ^ “鶴舞時代|東山動植物園の歴史|東山動植物園”. www.higashiyama.city.nagoya.jp. 2024年8月28日閲覧。
- ^ “サーカスからきたゾウ|東山動植物園の歴史|東山動植物園”. www.higashiyama.city.nagoya.jp. 2024年8月28日閲覧。
- ^ 中部軍管区司令部で獣医であった三井高孟獣医大尉の、軍規を犯した協力もあったとされる
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 東山動植物園ホームページ
- 愛知の郷土史、偉人、祭り・伝統産業 北王英一
- CBC創立50周年企画 中部英傑伝 北王英一 - ウェイバックマシン(2002年10月31日アーカイブ分)