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加藤政司郎

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加藤 政司郎(かとう せいしろう / まさしろう[1]、生没年不詳)は、大正から昭和期教育者翻訳家編集者軍事史学者。東京高等師範学校(現・筑波大学)で教え、アメリカの教科書を纂訳し出版したほか、軍事史学の翻訳書なども著した[2][3]

人物・経歴

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千葉県平郡、後の安房郡平群村(現南房総市)で生まれた[1]東京築地の立教学校(現・立教大学)に入学し、英文学を修学する[4]第一高等学校大学予科を経て[5] 1903年(明治36年)7月、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[1][6]。その後、大学院に進み1914年(大正3年)4月、東京高等師範学校(現・筑波大学)教諭を務めた[7]

その後、翻訳家になり、大正期には、松宮春一郎(世界文庫刊行会主宰者、後の中央大学事務部長)と活動をともにして、水野葉舟アメリカの教科書を纂訳し刊行したほか、複数の軍事史学の翻訳書を著す[2][8]

大東京社に所属した際には、松宮と雑誌『大東京』の創刊の準備を進めていた1916年(大正5年)10月に、大川平三郎(日本の製紙王)へ同誌の創刊趣旨を説明した[9]

昭和初期には、千駄ヶ谷の青山アパートに居住した[10]

主な著作

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脚注

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  1. ^ a b c 『房総人名辞書』187頁。
  2. ^ a b CiNii 『加藤, 政司郎』 国立情報学研究所
  3. ^ 近代文献人名辞典(β) 『加藤政司郞』
  4. ^ 立教史データベース 『校友会・校友消息』 立教学院学報第8号,1915年10月
  5. ^ 『第一高等学校一覧 自大正4年至5年』第一高等学校、1915年、224頁。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』1918年、学士及卒業生姓名225頁。
  7. ^ 原田昇編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年、404頁。
  8. ^ 論創社 本を読む 『009 吉川英治『鳴門秘帖』と『世界聖典全集』
  9. ^ 坂戸市立図書館 『大川平三郎文書目録』
  10. ^ 『立教大学新聞 第68号』 1928年(昭和3年)8月14日

参考文献

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  • 五十嵐重郎編『房総人名辞書』千葉毎日新聞社、1909年。