コンテンツにスキップ

加藤健三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加藤 健三(かとう けんぞう、1924年大正13年)11月28日[1][2] - )は、日本の医師内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田[3]。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士東京大学)。

侍医、また侍医長として昭和天皇香淳皇后の治療に当たった。

人物・経歴

[編集]

静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ[3]1948年昭和23年)、東京大学医学部卒業[1]1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務[4]1952年(昭和27年)、東京大学助手[1]1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務[1]1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)[1]1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務[1]1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務[1]

1982年(昭和57年)、侍医[1]。昭和天皇の侍医団は1988年(昭和63年)に東大第四内科から若手の医師1名が加わって五人となり、これが昭和天皇の最後の侍医団となった[注釈 1]1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御。その後、皇太后宮侍医[1]1991年(平成3年)、皇太后宮侍医長[1]

2000年6月16日、香淳皇后が崩御。崩御の後、「高齢による諸症状が進行し全体としての容態が悪化、老衰に基づく呼吸不全となった。(酸素吸入以外の措置を取らなかったことについて)薬物治療による苦痛は避けたかった。この方針は両陛下に以前から申し上げていた」と、香淳皇后の病態についてアナウンスを行った。

著書

[編集]
  • 『病気と食生活シリーズ3 腎臓病と食生活』 医歯薬出版 1970

共著

[編集]
  • 『ベッドサイドの診療と実際』 原沢道美, 加藤健三, 亀田治男 編 広川書店 1973

翻訳・監訳

[編集]
  • 『心臓の救急治療』 ゴールドバーガー 著; 加藤健三, 宮下英夫 共訳 広川書店 1985.6
  • 『循環器病学』 ハーストほか編 ; 加藤健三 ほか訳編 広川書店 1978.5
  • 『心臓病学 下』 フリードバーグ 著; 吉利和, 加藤健三, 宮下英夫 監訳 1975
  • 『心臓病学 上』 フリードバーグ 著; 吉利和, 加藤健三, 宮下英夫 監訳 1975

栄典

[編集]
  • 勲三等旭日中綬章

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『新訂 現代日本人名録 2002』 1965頁。日外アソシエーツ 2002年1月
  2. ^ 加藤 健三- Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2024年12月11日閲覧。
  3. ^ a b 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 74頁。
  4. ^ 『病気と食生活シリーズ3 腎臓病と食生活』巻末 著者略歴(昭和45年1月20日)医歯薬出版 1970

注釈

[編集]
  1. ^ 髙木顯侍医長(最年長)、大橋敏之、内田俊也、加藤健三、伊東貞三の5人。最後に加わった内田は当時30代半ばだった。髙木を除く4人が交代で当直を務めた。 ー 『前侍医長がいま明かす 昭和天皇 最後の百十一日』73-75頁。 髙木顯 テレビ朝日 1991年

外部リンク

[編集]