加茂正五
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名前 | ||||||
カタカナ | カモ ショウゴ | |||||
ラテン文字 | KAMO Shogo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 |
1916年12月12日 大日本帝国、静岡県浜松市 | |||||
没年月日 |
1977年9月14日(60歳没)[1] 日本, 東京都新宿区 | |||||
身長 | 172cm[2] | |||||
体重 | 62.5kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
浜松第一中学校 | ||||||
早稲田大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
早稲田大学WMW | ||||||
代表歴 | ||||||
1936 | 日本 | 2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
加茂 正五(かも しょうご、1916年12月12日 - 1977年9月14日)は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはFW(左ウイング)。
経歴
[編集]静岡県立浜松第一中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)の在学中より実兄の加茂健とともにサッカーを初め、早稲田大学に入学後はア式蹴球部に所属。在学中の1936年にベルリンオリンピックのサッカー日本代表に選出され[2]、1回戦のスウェーデン代表戦に出場。0-2の状況から、49分に川本泰三、62分には右近徳太郎の得点をアシストして試合を振り出しに戻し、チームの逆転勝利に貢献した[3]。
また、在学中の1938年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第18回天皇杯全日本サッカー選手権大会)でチームの優勝に貢献した。早稲田大学理工学部を卒業後は三菱重工業に入り、三菱重工業相模原製作所所長などを歴任した[1]。
1977年9月14日、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で開催予定の試合前のウォーミングアップ中に倒れ慶應義塾大学病院に運ばれたものの、同日心筋梗塞により死去した[1]。享年60。
所属クラブ
[編集]- 静岡県立浜松第一中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)
- 早稲田第一高等学院
- 早稲田大学
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 2試合 0得点
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1936 | 2 | 0 | 4 | 2 | 6 | 2 |
1937 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1938 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 2 |
通算 | 2 | 0 | 5 | 4 | 7 | 4 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1936年08月04日 | ベルリン | スウェーデン | ○3-2 | 鈴木重義 | オリンピック | |
2. | 1936年08月07日 | ベルリン | イタリア | ●0-8 | オリンピック |
出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 加茂正五 - Olympedia
- 加茂正五 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 加茂正五 - National-Football-Teams.com
- 加茂正五 - WorldFootball.net
- 加茂正五 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 加茂正五 - FIFA主催大会成績