則武村
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のりたけむら 則武村 | |
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廃止日 | 1940年2月11日 |
廃止理由 |
編入 加納町・則武村 → 岐阜市 |
現在の自治体 | 岐阜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 2.00 km2. |
総人口 |
1,362人 (1940年) |
隣接自治体 | 岐阜市、稲葉郡木田村 |
則武村役場 | |
所在地 | 岐阜県稲葉郡則武村小字則武 |
座標 | 北緯35度26分11秒 東経136度44分44秒 / 北緯35.43639度 東経136.74553度座標: 北緯35度26分11秒 東経136度44分44秒 / 北緯35.43639度 東経136.74553度 |
ウィキプロジェクト |
則武村(のりたけむら)は、かつて岐阜県稲葉郡に存在した村である。
現在の岐阜市則武、則武中、則武西に該当する。
かつては3つに分かれて流れた長良川のうち、早田川の位置を流れた分派川と、正木川の位置を流れた分派川に挟まれた島であったが、1933年(昭和8年)からの長良川改修工事で2つの分派川は締め切られている。改修工事以前は2つの分派川と伊自良川に囲まれた島であり、輪中(則武輪中)が形成されていた。
水はけが良く、粒子の細かい適度に砂の混ざった土壌であるから、古くから大根や守口大根など栽培が盛んな地域であり、現在も守口大根、枝豆の産地である。
歴史
[編集]- 江戸時代末期、この地域は美濃国方県郡に属し、天領であった。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により則武村が成立。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 厚見郡、各務郡、方県郡の一部が合併して稲葉郡となる。則武村は稲葉郡に属する。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 岐阜市に編入される。
学校
[編集]- 則武尋常高等小学校 (現・岐阜市立則武小学校)
神社・仏閣
[編集]- 日吉神社