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冨吉建速神社・八剱社

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冨吉建速神社・八劔社

鳥居正面
所在地 愛知県海部郡蟹江町大字須成字門屋敷上1363番地
位置 北緯35度08分50.8秒 東経136度47分16.6秒 / 北緯35.147444度 東経136.787944度 / 35.147444; 136.787944 (冨吉建速神社・八剱社)座標: 北緯35度08分50.8秒 東経136度47分16.6秒 / 北緯35.147444度 東経136.787944度 / 35.147444; 136.787944 (冨吉建速神社・八剱社)
主祭神 素盞嗚尊
草薙神霊
熱田五神
社格 郷社
創建 天平5年(733年
別名 須成神社(2社合わせた通称)
地図
冨吉建速神社・八劔社の位置(愛知県内)
冨吉建速神社・八劔社
冨吉建速神社・八劔社
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冨吉建速神社・八劔社(とみよしたけはやじんじゃ・はちけんしゃ)は、愛知県海部郡蟹江町大字須成にある2つの神社。2社を合わせて須成神社(すなりじんじゃ)とも呼ばれる。旧社格は郷社。

祭神

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主祭神

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  • 冨吉建速神社 - 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
  • 八劔社 - 草薙神霊(くさなぎのしんれい)

配祀神

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  • 熱田五神(あつたごしん)

歴史

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この神社は天平5年(733年)に行基勧請によって創建されたとされ、寿永元年(1182年)には源義仲(木曽義仲)が再建したとされるが、その真偽は定かでない。中世以降にはこの神社が富吉荘(現在の海部郡蟹江町周辺)の総氏神であった。室町時代後期の天文17年(1548年)には織田信長が社殿を修復したとされるが、その真偽は定かでない[1]豊臣秀吉徳川家康などが参拝し、この神社に寄進を行っている。

かつての冨吉建速神社は牛頭天王社(単に天王社、天王とも)と呼ばれており[1]慶長19年(1614年)から長らく牛頭天王社という表記だった[1]弘化3年(1846年)に完成した『尾張志』には牛頭天王社も登場し、八劔社は牛頭天王社の末社という扱いだった[1]

しかし明治期に国家神道を推し進める中で、仏教天部神である牛頭天王は好ましくないとされたため、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祭神として牛頭天王社から冨吉建速神社に改称した[1]1872年(明治5年)の『第八拾五区海東郡社寺調』では、須成村の鎮守として八劔社が記され、八劔社の境内に冨吉建速神社があるとされている[1]1953年昭和28年)3月31日には冨吉建速神社の本殿と八劔社の本殿がそれぞれ重要文化財に指定された[1]

祭礼

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須成祭の宵祭

毎年8月第1土曜日・日曜日には冨吉建速神社・八劔社の祭礼として、蟹江川の川祭りである須成祭が開催される。7月の稚児定めから10月の棚下しまで、約100日間に渡って様々な祭事が行われることから、「百日祭」という別名を持つ[2]。「神葭の神事」(みよしのしんじ)と「車楽船の川祭」(だんじりぶねのかわまつり)の2部構成となっており、「車楽船の川祭」が行われるのは8月第1土曜日・日曜日である[3]1980年(昭和55年)には須成祭が愛知県指定無形民俗文化財に指定された。2012年平成24年)3月8日に「須成祭の車楽船行事と神葭流し」として重要無形民俗文化財に指定された[2]2016年(平成28年)12月には、須成祭が「山・鉾・屋台行事」の一部としてユネスコ無形文化遺産に登録された[2]

文化財

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重要文化財

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  • 八劔社本殿
    • 三間社流見世棚造・桧皮葺[4]。前流れの屋根を持ち、梁の上には蟇股が置かれている[4]。室町時代初期とされる[4]
    • 1953年(昭和28年)3月31日に重要文化財に指定された。

ギャラリー

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現地情報

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所在地

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アクセス

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周辺

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  • 龍照院 - 神社の東側に隣接しており、神仏習合の形態が残っているとされる。
  • 蟹江川 - 神社の西側にが流れている。
  • 蟹江町観光交流センター「祭人」

参考文献

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  • 愛知県社会科教育研究会尾張部会『尾張の文化財とくらし』愛知県社会科教育研究会尾張部会、1988年
  • 蟹江町史編さん委員会『蟹江町史』蟹江町、1973年
  • 須成文化財保護部『須成の歴史と文化』須成文化財保護委員会、1994年

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 『蟹江町史』pp.873-878
  2. ^ a b c ユネスコ無形文化遺産 須成祭 蟹江町
  3. ^ 須成祭とは 蟹江町観光協会
  4. ^ a b c d e f 『尾張の文化財とくらし』p.91

外部リンク

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