コンテンツにスキップ

内野熊一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内野 熊一郎
人物情報
別名 藤川 熊一郎
生誕 (1904-06-17) 1904年6月17日
日本の旗 日本香川県三豊郡二ノ宮村
死没 2002年11月14日(2002-11-14)(98歳没)
出身校 東京文理科大学
子供 左近司祥子(長女:哲学者)、内野允子(次女:音楽学者)
学問
研究分野 漢文学
研究機関 東京文理科大学日本大学
学位 文学博士
テンプレートを表示

内野 熊一郎(うちの くまいちろう、1904年6月17日 - 2002年11月14日)は、漢文学者。別名、能朗(のうろう/たいろう)。

経歴

[編集]

1904年、香川県三豊郡二ノ宮村で藤川家に生まれた。1929年に東京高等師範学校を卒業し、東京文理科大学漢文学科に入学。同大学を1932年に卒業した。

卒業後は、1933年より東方文化学院東京研究所研究員。1934年に内野台嶺の長女道子と結婚し、内野家の養嗣子となった。1941年に陸軍経理学校教官となり、陸軍教授。

戦後は、1951年に母校である東京文理科大学東京教育大学助教授となった[1]。1950年、東京文理科大学に学位論文『今古文源流型の研究』を提出して文学博士号を取得。1952年に教授昇進。1966年、日本大学教授となった。1974年に日本大学を定年退職。学界では、第3代目の日本中国学会理事をつとめ(1963~1964年)、1990年に斯文会名誉会員となった[2]

研究内容・業績

[編集]

家族・親族

[編集]

著作

[編集]

著書

[編集]
  • 詩経毛伝引月令句考』東方文化学院 1936
  • 『申綽詩次故の学の詩説史上に占める位地』東方文化学院 1936
  • 『秦代に於ける経書経説の研究』東方文化学院 1939
  • 『支那古代生活史』清水書店 1941
  • 『漢初経書学の研究』清水書店 1942
  • 墨子』日本評論社 東洋思想叢書 1942
  • 論語評解』有精堂出版 1952
  • 『学習受験中國經學解釈』金子書房 1953
  • 孟子評解』有精堂出版 1953
  • 『漢文漢字の教育』新思潮社 実践国語選書 1954
  • 『新漢和辞典』清水書院 1957
  • 『中国古代金石文における経書讖緯神仙説攷』内野熊一郎博士頌寿記念論文刊行会 1987
  • 『日本漢文学研究 内野熊一郎博士米寿記念論文集』名著普及会 1991
  • 『内野熊一郎博士白壽紀念東洋学論文集』内野熊一郎博士白壽紀念東洋学論文集刊行委員会 2000

共編著

[編集]
  • 『必修国語漢文力問題選』小沢文四郎共監修 敬文社 1952
  • 『漢文の重点的研究』飯田吉郎共著 桜井書店 ミニマム・エッセンシャルズ 1954
  • 『中国思想文学史』編 敬文社 1954
  • 『学生の新漢和辞典』編 清水書院 1955
  • 『研究漢文』共著 清水書院 1956
  • 新釈漢文大系 4 孟子明治書院 1962
  • 『漢魏碑文金文鏡銘索引 隷釈篇』編 極東書店 1966
  • 孔子 人と思想』西村文夫・鈴木総一共著 清水書院 センチュリーブックス 1969 新装版2016
  • 『漢魏碑文金文鏡銘索引 金文・鏡銘・墓誌銘・碑文篇』編 極東書店 1972
  • 呂氏春秋中村璋八共著 明徳出版社 中国古典新書 1976

記念論集

[編集]
  • 『東洋学論集 内野博士還暦記念』漢魏文化研究会 1964

脚注

[編集]
  1. ^ 旧制東京文理科大学は、1949年に新制東京教育大学の設立により包括されることがきまっており、「東京教育大学東京文理科大学」となっていた。1953年に東京文理科大学は最後の本科生が卒業して閉学。
  2. ^ 「内野博士年譜」『内野熊一郎博士白壽紀念東洋学論文集』