内藤正友
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時代 | 江戸時代前期から中期 |
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生誕 | 寛文3年(1663年) |
死没 | 正徳元年8月7日(1711年9月19日) |
別名 | 仁左衛門(幼名) |
官位 | 従五位下、式部少輔 |
幕府 | 江戸幕府大坂定番 |
藩 | 武蔵赤沼藩主→信濃岩村田藩主 |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 父:内藤正勝、母:内藤政次の娘 |
妻 | 正室:屋代忠位の娘、継室:稲垣重氏の娘 |
子 |
正能(長男)、正敬(次男) 正直(三男)、娘(久世広寛継室) |
内藤 正友(ないとう まさとも)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。武蔵赤沼藩の第2代藩主。のち信濃岩村田藩の初代藩主。岩村田藩内藤家2代。
生涯
[編集]寛文3年(1663年)、赤沼藩の初代藩主内藤正勝の長男として生まれる。元禄7年(1694年)8月7日、父が大坂定番に在職中に死去したため、その家督を継いだ。元禄16年(1703年)、大坂定番となり知行地を信濃岩村田に移された。その際、全37か条からなる領内法度を発した。
正徳元年(1711年)8月7日に死去した。享年49。長男の正能が元禄14年(1701年)9月4日に早世していたため、家督は次男の正敬が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
側室
- 某氏
子女
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第815」