内藤正剛
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内藤 正剛(ないとう まさたけ、1883年(明治16年)2月28日[1] - 1959年(昭和34年)1月22日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。
経歴
[編集]岡山県阿賀郡新見村(現在の新見市)出身。関西法律学校(現在の関西大学)を卒業した後、中央大学で学び、判事検事登用試験に合格した[3]。司法官試補となったが、後に弁護士となり、大阪弁護士会副会長を務めた[3]。弁護士のかたわら大阪市会議員・同議長、大阪府議会議員・同議長を歴任した[1]。
1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回まで3回連続当選を果たした。
その他に大阪木材相互市場株式会社顧問、関西大学監事などを務めた[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大阪新人物誌』夕刊大阪新聞社・日本工業新聞社、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。