内藤敏子
内藤 敏子(ないとう としこ、 - 2024年〈令和6年〉8月13日[1]。)は、弦楽器チター(ツィター)の演奏家。アジアで唯一のチター・アカデミーである内藤チターアカデミー主宰。
武蔵野音楽大学短期大学弦楽科卒業(ヴァイオリン専攻[1])。1966年(昭和41年)に国費留学生としてスイスに渡った夫とともにチューリヒで暮らしていた時、チターを知った[1]。ヴァイオリンとツィターの共演を聴いたのがきっかけだった。雑誌『季刊文科』への寄稿で、「踊る野花の風を運んでくるような音楽」に感動したと回想している[1]。そのままスイスで、世界的なチター奏者ジェニー・コーザに師事した[1]。アントーン・カラスやルーディ・クナーブルからもレッスンを受ける。また並行して演奏活動。スイスにてツィター演奏家・教育者としての資格を取得した。親交のあったアントーン・カラス家からは、スイスの東隣オーストリアの首都ウィーンを舞台にし、テーマ曲がチターで奏でられている映画『第三の男』に関する多くの未公開資料を託され、著書『激動のウィーン「第三の男」誕生秘話―チター奏者アントン・カラスの生涯』(2001年8月、マッターホルン出版 ISBN 4901600001)を上梓する。
1975年(昭和50年)の帰国後は再び日本で暮らすようになり、原因不明の病気で6年半の闘病を経た後、1982年(昭和57年)に日本チター協会を設立した[1]。「酒場の音楽」と軽く見られていたチターの地位を高めようと演奏や後進の育成に努め、「チター音楽祭」を東京のサントリーホールで1993年(平成5年)から11年間続けた[1]。教え子には文仁親王妃紀子や栗原小巻らがいる[1]ほか、東京や埼玉県、神奈川県、香川県の教室で講師を務めた。
日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団をはじめとするオーケストラとの協演、『名曲アルバム』『題名のない音楽会』などテレビ、ラジオなどにも出演。ソロコンサートや講演会も行った。
2024年(令和6年)8月13日、肺癌で死去した[1]。享年82[1]。12月には教え子や友人らによる「偲ぶ会」が東京の法曹会館で開かれた[1]。