内田銀之助
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内田 銀之助(うちだ ぎんのすけ、1893年(明治26年)9月24日[1] - 1951年(昭和26年)6月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
経歴
[編集]東京府出身[1][3]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業[4]。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校第34期卒業[5]。
東京帝国大学法学部を経て、1935年(昭和10年)3月、関東軍参謀、1937年(昭和12年)9月、留守第1師団参謀を経て、同年11月、陸軍歩兵大佐に進む[2]。ついで1938年(昭和13年)8月、第20師団参謀長、1940年(昭和15年)9月、陸軍技術本部附を経て、同年12月、陸軍少将となる[2]。
のち大東亜戦争が勃発すると、1941年(昭和16年)7月、独立混成第5旅団長に補され、青島に駐屯した[1]。1944年(昭和19年)7月、陸軍中将に進み、第118師団長に親補され、終戦時は第13軍の戦闘序列に入ったが、張家口で終戦を迎えた[1]。
戦後に戦犯指名され、1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[6]。1951年(昭和26年)6月29日、巣鴨拘置所で死去した[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。