内田孝行
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内田 孝行 | |
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生誕 |
1891年3月10日 日本 山梨県 |
死没 | 1971年11月20日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
内田 孝行(うちだ たかゆき、1891年(明治24年)3月10日[1] - 1971年(昭和46年)11月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1891年(明治24年)に山梨県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第36期卒業[1]。1936年(昭和11年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、朝鮮軍参謀に就任した[2]。1937年(昭和12年)に歩兵第16連隊長を経て[2]、1939年(昭和14年)2月7日に第34歩兵団長(第11軍・第34師団)に就任し3月9日に陸軍少将に進級した[1][2]。南昌に駐屯し、錦江作戦では国民革命軍第19集団軍と戦った[1]。
1941年(昭和16年)3月に第63独立歩兵団長に転じ[1]、10月15日に陸軍中将に進級した[2]。1942年(昭和17年)4月1日に独立混成第20旅団を中心に編成された第70師団長(第13軍)に親補された[1]。杭州に駐屯したが[1]、終戦時は第6軍隷下に編入され、嘉興にあった[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。