内乱記
『内乱記』(ないらんき、羅: Commentarii de Bello Civili)は、『ガリア戦記』の続篇であり、共和政ローマ末期の政治家・軍人のガイウス・ユリウス・カエサルが自らの手で書き記した、ローマ内戦の記録である。カエサルのポンペイウスや元老院に対する闘争が描かれる。
概要
[編集]紀元前49年1月のローマ内戦開始(ルビコン川渡河)から、翌紀元前48年9月のポンペイウスの死、10月のカエサルのエジプト(アレクサンドリア)上陸、そして11月のポティヌス殺害までの約2年間が記述されている。(ここから先の記録の続篇は、アウルス・ヒルティウスによる『アレクサンドリア戦記』[1]で描かれる。)
原題は、『ガリア戦記』と共に、『ガイウス・ユリウス・カエサルの業績に関する覚書』(羅: C.Iulii Caesaris Commentarii Rerum Gestarum)であり、後に便宜上、『ガリア戦記』の方を「~ de Bello Gallico」、『内乱記』の方を「~ de Bello Civili」等と区別するようになっていったと推測される[2]。
構成
[編集]現在刊行されている全ての校訂本は、写本の伝統に則り、全3巻で構成されているが、『ガリア戦記』にも見られるように、カエサルの記録は概して一年を一巻にまとめる形式のため、本来は、共に紀元前49年について述べている現在の第1巻と第2巻が一つの巻を成し、紀元前48年について述べている現在の第3巻との二巻本だったと考えられる[2]。
紀元前49年(第1巻-第2巻)は、主にイタリア半島からヒスパニア(スペイン)にかけてを舞台とした戦闘に関する記述で占められる。紀元前48年(第3巻)は一転して、ポンペイユスが逃げ込んだバルカン半島(ギリシア)を舞台とした戦闘に関する記述で占められる。
- 第1巻(紀元前49年1月-7月)
- 第2巻(紀元前49年8月-10月)
- 第3巻((紀元前49年12月-) 紀元前48年1月-11月)
- 12月 - カエサル、ローマからブルンディシウムへ。
- 1月 - カエサル、ブルンディシウムから出航し、パラエステに上陸。オリクム→アポッロニア占領、アプスス川近傍に設営。
- 3月 - アントニウス、ニュンパエウムに上陸。
- 4月 - カエサルとアントニウス合流。ポンペイウスをドゥラキウムで包囲。
- 6月 - ポンペイウス、包囲網突破の試み。
- 7月 - ポンペイウス、包囲網突破に成功。カエサル、アポッロニアを経てテッサリア地方へ。ゴンピ攻略、メトロポリス占領。パルサルスに野営設置。
- 8月 - ファルサルスの戦い。カエサル、ラリサに到着。ポンペイユス、アンピポリス→ミュティレネへ移動。
- 9月 - カエサル、アジアへ移動。ポンペイユス、キプロス島→エジプト(アレクサンドリア)へ移動後、殺される。
--- - 10月 - カエサル、アレクサンドリアに到着、プトレマイオス13世とクレオパトラ7世を呼びつける。
- 11月 - アキッラス、プトレマイオス13世の使者を殺し、カエサルを包囲する。カエサル、エジプト艦隊を焼き、ポティヌスを殺させる。