八谷鉱山
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八谷鉱山 | |
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所在地 | |
所在地 | 米沢市入田沢字八谷地内 |
都道府県 | 山形県 |
国 | 日本 |
座標 | 北緯37度47分57秒 東経139度59分57秒 / 北緯37.799089048630634度 東経139.99907831653937度座標: 北緯37度47分57秒 東経139度59分57秒 / 北緯37.799089048630634度 東経139.99907831653937度 |
生産 | |
産出物 | 金、銀、銅、鉛、亜鉛 |
歴史 | |
開山 | 1887年 |
閉山 | 1988年 |
所有者 | |
企業 | 太平鉱業株式会社 ⇒三菱金属鉱業株式会社 ⇒只見鉱業株式会社 ⇒尾富鉱業株式会社 |
取得時期 | 1952年(三菱による取得) |
プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
八谷鉱山(やたにこうざん)は山形県米沢市入田沢にあった[1][2]、金、銀、銅、鉛、亜鉛などを主に産出した鉱山である。廃山となって採掘をやめ、坑道より出る坑水による鉱害を防止するため排水処理を行っている。処理後の水は小樽川(こたるがわ)や鬼面川[3](おものがわ)に流される。
沿革
[編集]- 1887年(明治20年)ころ - 開坑。
- 1952年(昭和27年)8月 - 三菱金属鉱業が買収。
- 1953年(昭和28年) - 只見鉱業に移管。
- 1956年(昭和31年) - 尾富鉱業[4]に移管。
- 1955年(昭和30年) - 1000トンの鉱石を細川鉱山に送った。
- 1960年(昭和35年) - 日本初の坑内地下選鉱場ができた。
- 1973年(昭和48年) - 坑道の総延長が30kmとなる。
- 1975年(昭和50年) - 200名以上の労働者がいた。
- 昭和後期、円高や非鉄金属の価格の暴落で人員整理を行う。
- 1988年(昭和63年)3月2日 - 閉山。
所在地
[編集]- 〒992-1583 山形県米沢市入田沢字八谷地内
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 八谷鉱山(山形県米沢市)
- ^ 山形県米沢市における旧八谷鉱山からの廃水流出について
- ^ 鬼面川編
- ^ 三菱金属鉱業の現地法人
- ^ 米沢市立三沢西部小学校
外部リンク
[編集]- 亜鉛など含む沈殿物が流出 米沢の鬼面川、水質に異常なし - ウェイバックマシン(2015年5月18日アーカイブ分)