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八橋城

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八橋城
鳥取県
城跡の丘を北から望む
城跡の丘を北から望む
別名 大江城、大江ノ城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 行松氏
築城年 大永4年(1524年)以前
主な城主 行松氏杉原盛重杉原景盛南条元信
遺構 曲輪石垣
指定文化財 琴浦町指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯35度30分12.6秒 東経133度40分23.8秒 / 北緯35.503500度 東経133.673278度 / 35.503500; 133.673278座標: 北緯35度30分12.6秒 東経133度40分23.8秒 / 北緯35.503500度 東経133.673278度 / 35.503500; 133.673278
地図
八橋城の位置(鳥取県内)
八橋城
八橋城
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八橋城(やばせじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町大字八橋にあった日本の城。琴浦町指定史跡[1]。城跡はJR八橋駅のすぐ横にあり、線路によって二分される。大江城とも呼ばれる。

概要

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酒井片桐飛行殉難碑

戦国時代、東伯耆の要衝である。行松氏歴代の城であったが、尼子氏毛利氏の争乱の舞台となった。

城跡には飛行機を形どった「酒井片桐飛行殉難碑」がある。1932年(昭和7年)、朝日新聞社機が日満議定書調印のニュースを積んで、満州からの帰途、八橋沖に墜落した殉難の碑である。

また南麓にある「泰玄寺」は城主代々の菩提寺と伝え、『伯耆志』には杉原盛重の実の墓が所在すると記される。

構造

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  • 「大手は東向き、本丸の高さ麓より26間、境地南北32間、東西23間、巡り87間あり云々」と記録に残る。石垣が現存する。

歴史

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脚注

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  1. ^ 「八橋城跡」琴浦町公式HP

外部リンク

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