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八幡村 (広島県比婆郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やはたそん
八幡村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
東城町・小奴可村八幡村田森村久代村帝釈村神石郡新坂村(一部)→ 東城町
現在の自治体 庄原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
比婆郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,123
国勢調査、1950年)
隣接自治体 小奴可村、田森村、東城町、帝釈村、西城町
八幡村役場
所在地 広島県比婆郡八幡村大字森
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八幡村(やはたそん[1][2])は、広島県比婆郡にあった。現在の庄原市の一部にあたる。

地理

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高梁川水系・東城川(成羽川)の中流域に位置していた[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、奴可郡川鳥村、安田村、森村、田黒村、菅村、請原村が合併して村制施行し、八幡村が発足[1][2]。旧村名を継承した川鳥、安田、森、田黒、菅、請原の6大字を編成[2]。役場を大字川鳥、初代村長の持家に置いた[2]
  • 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により比婆郡に所属[1][2]
  • 1899年(明治32年)郷友会を組織、以後、1904年(明治37年)八幡村青年会、1905年(明治38年)八幡村青年団と変遷[2]
  • 1908年(明治41年)八幡村信用販売生産組合[2]
  • 1933年(昭和8年)役場を大字森に移転[2]
  • 1939年(昭和14年)八幡村国民保険組合設立[2]
  • 1955年(昭和30年)4月1日、比婆郡東城町・小奴可村・田森村・久代村・帝釈村、神石郡新坂村(一部)と合併し、東城町が存続して廃止された[1][2]

地名の由来

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合併6か村の共通の氏神八幡神社による[2]

産業

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  • 農業、畜産、養蚕、酒造[2]

交通

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鉄道

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教育

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  • 1891年(明治24年)川鳥簡易小学校菅分教場を菅尋常小学校に改称[2]
  • 1896年(明治29年)森尋常高等小学校に八幡農業補習学校を併置[2]。1923年(大正12年)菅尋常小学校に菅農業補習学校を併置[2]。1925年(大正14年)八幡農業補習学校を廃止し、八幡村森公民学校・川鳥公民学校・菅公民学校を開設[2]。1926年(大正15年)村内の3公民学校に青年訓練所を併置[2]。1933年(昭和8年)村内3公民学校の研究科(青年訓練所)、女子部を森公民学校に統合[2]
  • 1947年(昭和22年)八幡中学校を森小学校内に開校[2]
  • 1948年(昭和23年)広島県立東城高等学校定時制八幡分校開設[2]

名所・旧跡

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  • 川鳥八幡神社[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』814頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『角川日本地名大辞典 34 広島県』835頁。

参考文献

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関連項目

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