入来院定矩
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明4年8月5日(1784年9月19日) |
死没 | 寛政12年3月15日(1800年4月8日) |
改名 | 千代五郎(幼名)→定矩 |
別名 | 通称:掃部 |
主君 | 島津斉宣 |
藩 | 薩摩藩 |
氏族 | 入来院氏 |
父母 | 父:入来院定馨、母:島津貴澄娘 |
子 | 養子:定経 |
入来院 定矩(いりきいん さだのり)は、江戸時代後期の薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏26代当主。
生涯
[編集]天明4年(1784年)8月5日、島津氏の家臣・入来院定馨の子として生まれる。同年、父の死去により家督相続し、薩摩入来領主となる。
寛政4年(1792年)、藩主・島津斉宣の加冠で元服する。寛政5年(1793年)、明時館火消役となる。同年、下町の火災が明時館に延焼するのを家中で防ぎ、消防の功績を賞される。寛政12年(1800年)3月15日没。享年17。
家督は、親族が相談の上で、重富島津家2代当主・島津忠救の三男・麻袈裟(定経)を養子としての相続を願い出て許される。
参考文献
[編集]- 「入来村史」