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児玉泰介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
児玉 泰介 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム こだま たいすけ
ラテン文字 Taisuke Kodama
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走マラソン
生年月日 (1958-07-26) 1958年7月26日(66歳)
出身地 鹿児島県薩摩郡東郷町(現薩摩川内市[1]
自己ベスト
5000m 13分46秒36 (1983年)
10000m 28分44秒23 (1983年)
マラソン 2時間07分35秒 (1986年)
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児玉 泰介(こだま たいすけ、1958年7月26日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。マラソン元日本記録保持者。

経歴

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鹿児島県薩摩郡東郷町(現在の鹿児島県薩摩川内市)出身[1]。私立川内実業高等学校(現れいめい高等学校)卒業後、陸上競技部があった隣県(宮崎県)の旭化成に入社。

1986年別府大分毎日マラソンで日本歴代9位(当時)となる2時間10分34秒の好タイムで優勝。続く10月の北京国際マラソンではジュマ・イカンガータンザニアの旗 タンザニア)、伊藤国光らを抑え2時間7分35秒のマラソン日本最高記録(当時)をマークし優勝[2]。この記録は1999年犬伏孝行によって塗り替えられるまで12年間破られることはなかった。

1990年から旭化成陸上部コーチを兼任。1993年に選手としては第一線を退き、4月に三菱重工長崎マラソン部監督就任。2003年3月まで指導にあたる。翌年4月古巣旭化成に戻り、2008年3月まで陸上部女子監督を務めた。2009年4月に中山竹通の後任として愛知製鋼陸上競技部監督に就任。在任中の2015年に、「これから日本が世界で戦える競技は男子競歩」と会社に進言し、競歩選手の採用を開始[3]。外部から競歩専門の内田隆幸コーチを招聘し、西塔拓己丸尾知司、世界陸上金メダルの山西利和らを指導した。2022年4月に監督を退任しアドバイザーに就任。

長女の光代サニックスで陸上競技をしていたが、同社の女子陸上部はリストラで2007年3月31日に廃止された。

マラソン成績

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  • 自己最高記録…2時間07分35秒(1986年10月、北京国際マラソン優勝時)
年月 大会名 タイム 順位 備考
1982.03 延岡マラソン 2:20:56 4位
1982.12 福岡国際マラソン 2:16:20 16位
1983.02 別府大分毎日マラソン 2:18:48 7位
1983.12 福岡国際マラソン 2:12:51 10位
1984.12 福岡国際マラソン 2:10:36 2位
1985.04 ワールドカップマラソン 広島大会 2:16:51 52位
1985.12 福岡国際マラソン 2:19:14 28位
1986.02 別府大分毎日マラソン 2:10:34 優勝
1986.10 北京国際マラソン 2:07:35 優勝 史上3人目の7分台。当時世界歴代3位、アジア新記録、日本新記録、大会新記録
1987.04 ワールドカップマラソン ソウル大会 2:11:23 2位
1987.12 福岡国際マラソン 2:16:49 31位
1988.08 北海道マラソン 2:20:55 2位
1988.12 福岡国際マラソン 2:11:38 4位
1989.03 ロサンゼルスマラソン 2:17:14 6位
1990.08 モスクワマラソン 2:17:36 7位
1991.02 別府大分毎日マラソン 2:12:09 5位
1991.10 北京国際マラソン 2:13:07 2位
1991.12 防府マラソン 2:13:58 2位
1992.04 ロッテルダムマラソン 2:13:51 9位
1994.02 東京国際マラソン 2:15:56 15位
1994.09 オスロマラソン 2:25:16 優勝
1996.12 福岡国際マラソン 2:29:02 78位

脚注

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参考文献

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  • 東郷町郷土誌編纂委員会『東郷町郷土史 続編』東郷町、2003年。 

外部リンク

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先代
中山竹通
マラソン日本記録
2時間07分35秒
次代
犬伏孝行