児玉忠康
表示
児玉 忠康(こだま ただやす、1898年7月29日 - 1990年10月27日)は、日本の経営者。日本郵船社長、会長を務めた[1]。東京都出身[1]。広幡忠朝の三男として生まれ、兒玉秀雄の婿養子となった[2]。
経歴
[編集]1922年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本郵船に入社[1]。1947年1月に取締役に就任し、1952年12月に常務を経て、1958年11月に副社長に就任し、1961年1月には社長に昇格[1]。1965年11月に会長に就任し、1971年5月には相談役に就任[1]。
1990年10月27日肺炎のために東京都新宿区の国立病院医療センターで死去[3]。92歳没。墓所は多磨霊園(8-1-17-1)
栄誉
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 人事興信所 1985, こ154、こ155頁.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)429-430頁。
- ^ 1990年 10月30日 日本経済新聞 朝刊 p35
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。
|
|
|