光明寺 (加東市)
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光明寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 兵庫県加東市光明寺433 |
位置 | 北緯34度56分54.7秒 東経134度56分50.1秒 / 北緯34.948528度 東経134.947250度座標: 北緯34度56分54.7秒 東経134度56分50.1秒 / 北緯34.948528度 東経134.947250度 |
山号 | 五峯山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
寺格 | 真言宗七十五名刹 |
本尊 | 十一面千手千眼観世音菩薩 |
創建年 | 伝・推古天皇2年(594年) |
開山 | 伝・法道 |
別称 | 播磨高野 |
札所等 |
新西国三十三箇所第28番 播磨西国三十三箇所第18番 |
文化財 |
銅造如来坐像(重要文化財) 本堂(国登録有形文化財) |
法人番号 | 6140005016724 |
光明寺(こうみょうじ)は、兵庫県加東市光明寺にある高野山真言宗の寺院。山号は五峯山(ごぶさん)。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。「播磨高野」とも呼ばれる真言宗七十五名刹の一つ。創立者は法道とされる。観応の擾乱の光明寺合戦の舞台として知られる。新西国三十三箇所第28番札所。
新緑と紅葉の名所で「ひょうご森林浴場50選」に選定される連山(宿尾・明星が辻・経の尾・大岩・弥木場)である五峯山の主峰頂上近くに本堂がある。光明寺合戦にまつわる史跡は本堂裏の本陣跡のほか、山内に数多く残る。
歴史
[編集]推古天皇2年(594年)に法道による開創と伝わる。法道は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。法道開基との伝承は文字通りに受け取ることはできないが、法道開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。
寺伝では平安時代初期に円仁(慈覚大師)が山内に留まったと言い、仁明天皇の勅願により常行堂が建立されたという。最盛期には塔頭4ケ院の他に19の僧坊があった。
正平6年/観応2年(1351年)には山内の光明寺城で足利尊氏・高師直の軍と、足利直義・石塔頼房・愛曽伊勢守の軍の合戦(光明寺合戦)があった。
境内
[編集]- 本堂(国登録有形文化財) - 1925年(大正14年)再建。入母屋造銅板葺きの伝統的仏堂建築で、武田五一の設計。本尊十一面千手観音三尊像安置。
- 梵鐘堂 - 寛保2年(1742年)再建。
- 常行堂(阿弥陀堂) - 宝永年間(1704年 - 1711年)再建。安永8年(1777年)改築。
- 水子子育地蔵堂 - 享保18年(1733年)再建。
- 鎮守社 - 祭神:熊野権現
- 文殊堂 - 天和2年(1682年)再建。
- 仁王門 - 元禄6年(1693年)に現在地に移築。1981年(昭和56年)に解体修理が行われた。
- 花蔵院 - 塔頭。
- 大慈院 - 塔頭。日本に一つしかない善導大師の自画像である「日本一幅善導大師自画像」がある。
- かわらけ投所
- 遍照院 - 塔頭。
- 多聞院 - 塔頭。
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文殊堂
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常行堂
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梵鐘堂
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仁王門
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遍照院
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大慈院
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 銅造如来坐像 - 塔頭遍照院所有。平安時代中期の作。像高24cmの小像。木彫全盛のこの時代には珍しい金銅仏である。
国登録有形文化財
[編集]- 光明寺本堂
加東市指定有形文化財
[編集]- 絹本着色善導大師画像 1幅 - 塔頭大慈院所有。
- 絹本著色釈迦十六善神図 1幅 - 塔頭花蔵院所有。
行事
[編集]- 花まつり(5月3日) - 「日本一幅善導大師自画像」(塔頭大慈院の所有)、重要文化財の「銅造如来坐像(平安時代中期)」が公開される
前後の札所
[編集]交通アクセス
[編集]周辺情報
[編集]- 兵庫県立播磨中央公園(山麓)
- 加東市地域交流センター(旧滝野文化会館)
- 加古川流域滝野歴史民俗資料館
- 加東市滝野図書館
- 加東市滝野公民館(滝野情報交流館)
- 加東市役所滝野庁舎