光明寺 (下妻市)
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光明寺 | |
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所在地 | 茨城県下妻市下妻乙350 |
位置 | 北緯36度10分50.1秒 東経139度57分42.3秒 / 北緯36.180583度 東経139.961750度座標: 北緯36度10分50.1秒 東経139度57分42.3秒 / 北緯36.180583度 東経139.961750度 |
山号 | 西木山 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 鎌倉時代初期 |
開基 | 明空 |
文化財 | 木造聖徳太子立像(茨城県指定有形文化財)、多貿谷氏発給文書、他(下妻市指定文化財) |
光明寺(こうみょうじ)は、茨城県下妻市にある真宗大谷派の寺院。
歴史
[編集]鎌倉時代初期、明空の開基である。明空は俗名「三浦義忠」という鎌倉幕府御家人であったが、1213年(建暦3年)の和田合戦で和田義盛方につき、敗北した。義忠は世の無常を感じ、落武者として放浪の旅に出た。当地に来た時、夢の中で僧侶が現れ「小島(現・同市小島)に聖人がいるので、そこに行け。」と告げられた。その聖人こそ浄土真宗宗祖の親鸞である。義忠は親鸞の法話を聴いて感激し、親鸞の弟子となり「明空」を名乗ることになった。そして明空は当寺を創建した[1]。
当寺では、親鸞や明空にかかわる寺宝を所蔵している。その内のいくつかは、茨城県や下妻市の文化財に指定されている[1]。
文化財
[編集]- 木造聖徳太子立像(摂政太子像)(茨城県指定有形文化財 昭和59年3月8日指定)[2]
- 多貿谷氏発給文書(下妻市指定文化財 平成8年12月26日指定)[3]
- 親鸞伝絵(下妻市指定文化財 平成8年12月26日指定)[3]
- 親鸞門侶交名(下妻市指定文化財 平成19年11月16日指定)[3]
- 親鸞御手植の菩提樹(下妻市指定天然記念物 昭和52年3月22日指定)[3]
- 明空御手植の柊(下妻市指定天然記念物 昭和52年3月22日指定)[3]
交通アクセス
[編集]- 下妻駅より徒歩5分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年