光巌寺 (前橋市)
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光巌寺 | |
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光巌寺本堂(奥)・庫裏(手前) | |
所在地 | 群馬県前橋市総社町総社1607 |
位置 | 北緯36度24分28.3秒 東経139度02分16.5秒 / 北緯36.407861度 東経139.037917度座標: 北緯36度24分28.3秒 東経139度02分16.5秒 / 北緯36.407861度 東経139.037917度 |
山号 | 秋元山 |
院号 | 江月院 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 慶長12年(1607年) |
開山 | 亮応 |
開基 | 秋元長朝 |
正式名 | 秋元山 江月院 光巖寺 |
文化財 | 力田遺愛碑(群馬県指定史跡)、東覚寺層塔(前橋市指定重要文化財)他 |
法人番号 | 8070005000485 |
光巌寺(こうがんじ)は、群馬県前橋市にある天台宗の寺院。正式名は秋元山 江月院 光巌寺(あきもとさん こうげついん こうがんじ)、本尊は釈迦如来[1]。
歴史
[編集]慶長12年(1607年)、総社藩主秋元長朝が母の菩提を弔うため、元総社の徳蔵寺を移し創建した[1][2][3]。開山は亮応[4][1]。なお、父の景朝の菩提を弔うために創建したのが元景寺である[5][6]。
寛永3年(1626年)に朱印地30石、慶安2年(1649年)に朱印地16石を与えられ、江戸時代には計46石を得ていた[3][4]。
万治または正保年間と文化年間の2度にわたり火災で焼失し、本堂は文政3年(1820年)、庫裏は文化10年(1813年)の再建[1][2]。
境内には、「力田遺愛碑」と呼ばれる石碑がある。これは天狗岩用水開削事業を行った長朝を顕彰するものである。秋元氏は後に谷村藩に転封になったが、転封後の1776年(安永5年)に長朝の遺徳を偲び造立された[6]。
文化財
[編集]- 東覚寺層塔(前橋市指定重要文化財 昭和48年9月24日指定)[8]
- 光巌寺薬医門(前橋市指定重要文化財 昭和50年12月24日指定)[8]
- 光巌寺の打敷・油単並びに幡(前橋市指定重要文化財 平成7年4月20日指定)[8]
- 光巌寺の石幢(前橋市指定重要文化財 平成7年4月20日指定)[8]
- 石山寺蒔絵机(前橋市指定重要文化財 平成9年4月21日指定)[8]
- 三具足1具(前橋市指定重要文化財 平成9年4月21日指定)[8]
- 輪口瓜形釜伝芦屋1口 附極め書3通(前橋市指定重要文化財 平成9年4月21日指定)[8]
交通アクセス
[編集]- 群馬総社駅より徒歩15分。
周辺
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年
- 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-寺院編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121894。 NCID BC14398038 。
- 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年。