コンテンツにスキップ

光元村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みつもとそん
光元村
廃止日 1914年2月1日
廃止理由 新設合併
宝木村(初代)、光元村宝木村
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 908
(角川日本地名大辞典 鳥取県「光元村(近代)」、1891年)
隣接自治体 宝木村(初代)、瑞穂村鹿野町(初代)、大郷村末恒村
光元村役場
所在地 鳥取県気高郡宝木村大字宝木宿
(宝木村光元村組合役場)
座標 北緯35度28分59秒 東経134度04分41秒 / 北緯35.4831度 東経134.078度 / 35.4831; 134.078座標: 北緯35度28分59秒 東経134度04分41秒 / 北緯35.4831度 東経134.078度 / 35.4831; 134.078
特記事項 座標は現在の上光コミュニティーセンター位置
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

光元村(みつもとそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。

概要

[編集]

現在の鳥取市気高町上光・気高町下光元に相当する。河内川下流域の谷あいに位置した。

藩政時代には鳥取藩領の気多郡光元庄(みつもとのしょう)に属する下光元村・戸島村・馬場村・西分村・塚手村があった[1]

沿革

[編集]
  • 1877年(明治10年)5月22日 - 馬場村・戸島村・塚手村・西分村が合併して上光村となる[1]
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年)- 宝木宿に置かれた連合戸長役場の管轄区域になる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、上光村と下光元村が合併して村制施行し、気多郡光元村が発足。旧村名を継承した2大字を編成。宝木村(初代)との組合役場を同村大字宝木宿に設置[1][2]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡光元村となる。
  • 1914年(大正3年)2月1日 - 宝木村と合併し、改めて宝木村(2代)が発足。同日光元村廃止[1]

行政

[編集]
  • 歴代宝木村光元村組合村長については宝木村を参照。

教育

[編集]
  • 上光尋常小学校:1933年(昭和8年)3月に宝木尋常高等小学校に統合され上光分教場となる。1947年(昭和22年)に宝木村立宝木小学校上光分校と改称、3年生まで通学。1965年(昭和40年)3月、上光分校廃止[1]

交通

[編集]

鉄道

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
  2. ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)

関連項目

[編集]