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元炳旿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

元 炳旿(ウォン・ビョンオ、朝鮮語: 원병오/元炳旿1929年5月19日 - 2020年4月9日)は、大韓民国鳥類学者。『韓国の鳥の父』と評された。本貫原州元氏[1]

生涯

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日本統治時代の朝鮮京畿道開城(現: 朝鮮民主主義人民共和国開城特別市)にて鳥類学者であった父元洪九朝鮮語版のもと、4男2女の中で末っ子として生まれた。

鳥類学を勉強しようとなったのは、幼い時に父について行き山と野原で共に鳥を追った経験による。1948年金日成総合大学農学部畜産科に入学し、単科大学に分離した元山農業大学朝鮮語版にに在学中、1950年朝鮮戦争が起こると韓国へ渡った。戦中は陸軍砲兵将校として参戦し、中尉の時は、当時第3軍団砲兵団長であり、大領(日本の大尉に相当)であった

朴正煕元大統領の専属副官を務めた。兵役を移転した後は慶熙大学校生物学科を経て、1961年北海道大学にて博士の学位を取得した。その後は慶熙大学校生物学科教授を務めた[2]

父である元洪九とは朝鮮戦争以後連絡が途絶えていたが、1965年に移動経路の調査・研究のため自身が足環をつけたシベリアムクドリを、北朝鮮側にいた元洪九が偶然発見したことが契機となり、互いの生死の状況が確認された[3]。しかし、南北の分断により互いの生存中に親子が直接会うことはなく、元洪九は1970年に亡くなった。1993年には、この親子の物語は日朝合作映画「バード」の題材となって映画化された[4]。元炳旿は2002年に北朝鮮を訪れ、開城にある父親の墓に墓参りをした[5]

慶熙大学校名誉教授、韓国鳥獣保護協会会長、国際環境科学研究所理事長、国際鳥類学会議(IOC)理事を務めた。

2020年4月9日、持病により91歳で亡くなった[6]

脚注

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  1. ^ (81)원주 원씨(原州元氏)-109,505명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月15日). 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ 정년퇴임한 경희대/원병오 교수(화요일에 만난 사람)” (朝鮮語). www.hani.co.kr (1994年9月27日). 2022年8月17日閲覧。
  3. ^ [구석구석 과학사(31)전쟁 중 헤어진 아들, 새의 인식표로 찾다]” (朝鮮語). weekly.khan.co.kr (2018年5月8日). 2021年9月28日閲覧。
  4. ^ 「새 박사」원병오교수 부자스토리 일서 영화화” (朝鮮語). 중앙일보 (1993年3月5日). 2021年9月28日閲覧。
  5. ^ 성묘위해 방북하는 '새 박사' 원병오 : 문화생활 : 인터넷한겨레 The Hankyoreh”. legacy.www.hani.co.kr. 2021年9月28日閲覧。
  6. ^ '한국 새의 아버지' 조류학자 원병오 교수 별세” (朝鮮語). 조선일보 (2020年4月10日). 2021年9月28日閲覧。