偰 遜(せつ そん、설손、? - 1360年)は、ウイグル族出身の高麗の文官。偰文質の孫。慶州偰氏の始祖であり、恭愍王の時代に高麗に帰化した。長男は恭愍王11年に文科に及第、判三司事を務めた偰長寿[1]。四男の偰慶寿も、恭愍王の時代に文科に及第した。五男の偰眉寿は、恭愍王の時代に文科に及第、李氏朝鮮時代に礼曹判書を務めた。孫の偰循は、李氏朝鮮の太宗の時代に文科に及第し、世宗の時代に集賢殿副提学を務めた[1]。