倭文神社 (伊勢崎市)
倭文神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 群馬県伊勢崎市東上之宮町甲380番地 |
位置 | 北緯36度18分39.9秒 東経139度9分5.1秒 / 北緯36.311083度 東経139.151417度座標: 北緯36度18分39.9秒 東経139度9分5.1秒 / 北緯36.311083度 東経139.151417度 |
主祭神 | 天羽槌雄命 |
社格等 |
式内社(小) 上野国九宮 旧郷社 |
創建 | (伝)第11代垂仁天皇3年 |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 上之宮 |
例祭 | 4月16日 |
主な神事 | 田遊祭(1月14日) |
地図 |
倭文神社(しどりじんじゃ)は、群馬県伊勢崎市東上之宮町にある神社。式内社、上野国九宮。旧社格は郷社。
利根川左岸に鎮座しており、右岸に鎮座する火雷神社(上野国八宮、下之宮)に対して「上之宮(かみのみや)」と称される。
祭神
[編集]主祭神
配祀神
歴史
[編集]創建
[編集]社伝では第11代垂仁天皇3年の創建というが、詳らかではない[2]。
「しどり」とは「しずおり」の略で、天羽槌雄命は平絹を織る部民・倭文部(しどりべ)の氏神である[3]。これより、倭文部が当地に移住して天羽槌雄命を祀ったとする説がある[4]。また、『和名抄』には「那波郡委文郷」が見えるが、これを当地に見る説もある[4]。
鎮座地の地名「上之宮」は当社に由来するとされ[5]、利根川を挟んで「下之宮」の火雷神社と対峙するが、中世の利根川変流まで両社は地続きであったという[6]。
概史
[編集]国史の初見は、『日本三代実録』貞観元年(859年)の「正六位上委文神」を官社に列すという記事で[7]、同年に神階は従五位下に昇叙された[8]。
『延喜式』神名帳では上野国那波郡に「倭文神社」と記載され、式内社に列している。この「佐位郡」は、佐波郡(明治に那波郡・佐位郡を合併)の前身にあたる。
長元3年(1030年)の『上野国交替実録帳』には「正三位委文明神社」と記されるとともに「向殿壱宇、間垣壱廻、鳥居壱基」と記載がある[3]。また『上野国神名帳』では、総社本では鎮守10社の9番目、一宮本では鎮守12社の11番目に「従一位倭文大明神」と記載されている[3]。
南北朝時代成立の『神道集』では「九宮ヲハ那波ノ下ノ宮ニ、少智ノ大明神ト申ス」と記載があることから、当社は上野国の九宮であったと見られている(「下ノ宮」は誤記と見られる)[3]。また同集によると、当社の本地仏は如意輪観音であった[3]。
当社には祀官に真下氏がいたが、戦国時代の兵火で社殿は焼失、社家も離散したという[3]。その後江戸時代に入り、寛永年間(1624年-1644年)に慈眼寺が別当となり、慶安元年(1648年)に朱印地10石が与えられた[4]。社殿は享保12年(1727年)に再興されたが、慶応2年(1866年)に焼失した[4]。
明治維新後、近代社格制度において郷社に列した[2]。また、大正14年(1925年)に神饌幣帛料供進神社に指定された[2]。
神階
[編集]- 六国史
- 六国史以後
境内
[編集]-
本殿
-
社殿
祭事
[編集]- 歳旦祭 (1月1日)[9]
- 田遊祭 (1月14日)
- 祈念祭 (2月18日)
- 服飾初祭・例大祭 (4月16日)
- 秋祭 (10月17日)
上記のように、1月14日には田遊び(たあそび)として、田植えの予祝祭事が行われる[10]。祭事では、祭員はまず笹竹を振りご神歌を唱えながら、鳥居と拝殿の間を3往復する[10]。その後町内を巡り、神社に戻るともう一度鳥居前と拝殿の間を同様に3往復する[10]。この祭事では田植えの模擬所作こそ伴わないものの、そのご神歌は中世にまで遡るとされる[10]。この祭事は「倭文神社の田遊び」として、市の重要無形民俗文化財に指定されている[10]。ご神歌は次の通り[2]。
「 | 御神歌 エートウ、エートウ まえだの鷲(さぎ)が御代田(おしろだ)にぎろり きろぎろめくのは なんだんぼ 一本植えれば千本になる とうとうぼうしの種 エートウ、エートウ 乾(いぬい)のすまの掃部(かもん)の長者 つじゅう十石ざらり ざらざらめくのは なんだんぼ 一本植えれば千本になる とうとうぼうしの種 |
」 |
文化財
[編集]伊勢崎市指定文化財
[編集]- 重要文化財
- 重要無形民俗文化財
- 倭文神社の田遊び - 平成19年8月17日指定[10]。
現地情報
[編集]所在地
周辺
- 宮川山慈眼寺 - 旧別当寺[5]。
- 火雷神社 (佐波郡玉村町下之宮、北緯36度18分9.65秒 東経139度9分5.38秒) - 下之宮。利根川を挟んで対峙する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 境内説明板
- 『日本歴史地名体系 群馬県の地名』(平凡社、1987年)伊勢崎市 東上之宮村項・倭文神社項
- 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)p. 283