信太村 (大阪府)
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しのだむら 信太村 | |
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廃止日 | 1960年8月1日 |
廃止理由 |
編入 信太村、八坂町 → 和泉市 |
現在の自治体 | 和泉市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 泉北郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 和泉市、泉北郡八坂町・高石町・福泉町 |
信太村役場 | |
所在地 | 大阪府泉北郡信太村大字太 |
座標 | 北緯34度30分07秒 東経135度26分59秒 / 北緯34.50189度 東経135.44972度座標: 北緯34度30分07秒 東経135度26分59秒 / 北緯34.50189度 東経135.44972度 |
ウィキプロジェクト |
信太村(しのだむら)は、かつて大阪府にあった村。現在の和泉市北部にあたる。村名の由来は和名抄に見られる郷名「信太」より。
当地の中村(現・和泉市葛の葉町)には葛の葉伝説の舞台となった信太森葛葉稲荷神社がある。また、かつて舞村には陰陽師が数名居住しており、暦を発行して和泉国内に頒布していた。1660年(万治3年)に発行された「泉州暦」(「岸和田暦」とも)が神宮文庫に保管されている。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 和泉郡王子村、富秋村、中村、尾井村、太村、上村、舞村、上代村、小野新田が合併して、和泉郡信太村が発足。大字太に村役場を設置。
- 1896年(明治29年)4月1日 泉北郡が成立。
- 1910年(明治43年) 大字小野新田を小野に改称。
- 1960年(昭和35年)8月1日 泉北郡八坂町とともに和泉市に編入される。
- 和泉市編入の際に大字中を葛の葉町に改称。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、信太村の篤農家は林佐平がいた[1]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]- 熊野街道(小栗街道)
- 中和泉街道
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』191頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。