依田政彦
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 和歌山県西牟婁郡串本町 |
生年月日 | 1964年11月6日(60歳) |
身長 体重 |
177 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト外 |
初出場 | 1985年8月3日 |
最終出場 | 1986年10月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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依田 政彦(よた まさひこ、1964年11月6日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
来歴・人物
[編集]アメリカで育ち、レイクウッド高校からカリフォルニア大学アーバイン校を中退した後、1983年オフにドラフト外で近鉄バファローズに入団。同期入団に小野和義、吉井理人、村上隆行、光山英和らがいる。
プロ入り2年目の1985年に一軍に初昇格し、プロ初勝利を挙げる。3年目の1986年には、一軍に定着し貴重な中継ぎ左腕として活躍する。また、同年8月6日の西武ライオンズ戦では、近鉄は8回表に1イニング6被本塁打という不名誉なプロ野球記録を喫してしまったが、依田はこの回の2死走者なしの場面で4番手で登板し、大田卓司に6本目のホームランを打たれている。
翌1987年に肘を故障、以降は一軍で登板することはなかった。1989年3月に現役を引退した。
引退後は、英語力を活かしてヤクルトスワローズや埼玉西武ライオンズで通訳を担当した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1985 | 近鉄 | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 100 | 20.0 | 23 | 1 | 18 | 2 | 0 | 6 | 2 | 0 | 19 | 15 | 6.75 | 2.05 |
1986 | 40 | 3 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 343 | 77.2 | 74 | 16 | 39 | 1 | 1 | 32 | 3 | 0 | 44 | 34 | 3.94 | 1.45 | |
通算:2年 | 57 | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | -- | .571 | 443 | 97.2 | 97 | 17 | 57 | 3 | 1 | 38 | 5 | 0 | 63 | 49 | 4.52 | 1.58 |
記録
[編集]- 初登板:1985年8月3日、対南海ホークス18回戦(大阪スタヂアム)、5回裏2死に3番手で救援登板、2/3回無失点
- 初勝利:1985年8月20日、対西武ライオンズ16回戦(藤井寺球場)、9回表2死に4番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:1985年8月25日、対阪急ブレーブス19回戦(ナゴヤ球場)、9回表に吉沢俊幸から
- 初先発:1985年9月17日、対南海ホークス24回戦(大阪スタヂアム)、1回1/3を5失点
- 初先発勝利・初完投勝利:1986年5月17日、対西武ライオンズ6回戦(ナゴヤ球場)、9回3失点(自責点0)
背番号
[編集]- 33(1984年 - 1989年)