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佐藤隆一

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佐藤 隆一(さとう りゅういち、1920年 - 1983年)は日本の医学者群馬県生まれ。慶応義塾大学医学部卒業。

業績

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1955年「吉田肉腫のパラビオーゼによる發育抑制に關する研究」[1] で慶應義塾大学医学博士国立ガンセンター内分泌治療研究室長を経て日本実験医学研究所所長(現 株式会社SRD生物センター)。吉田富三博士が発見したラットの腹水癌である吉田肉腫の植えつけに成功したドンリウラットを開発し、癌の化学療法へ貢献した。ドンリウラットの胚および精子は隆一の妻 節子の姉 水野信子の夫 久保孝(京都大学医学部卒)が、京都大学第19代総長 岡本 道雄博士(昭和48年12月16日就任)と親しかったことから京都大学大学院医学研究科附属動物実験施設で保存され、現在に至る。佐藤肺ガンラット)の樹立やガン免疫学の草分け的存在である。

佐藤隆一は、経口B型慢性肝炎治療剤であるセロシオン(製造販売元:株式会社三和化学研究所)の開発者でもある。以下抜粋Ⅰ.概要に関する項目 1.開発の経緯 有機ゲルマニウム化合物の医薬品への応用は1960 年代より考えられていた。佐藤隆一らは、細胞性免疫を高める有機ゲルマニウム化合物に着目し、1978 年新規有機ゲルマニウム化合物であるプロパゲルマニウムを合成した。 プロパゲルマニウムは、宿主の免疫能を賦活するとともにウイルス感染時のインターフェロン(IFN)産生を増強する。臨床試験では、B 型慢性肝炎に対して、全般改善度、有用度ともにプラセボと比較して有用性が確認された。株式会社三和化学研究所は1990年8月30日にセロシオンⓇカプセル10として承認申請を行い、1994年7月1日に承認され、1994年8月29日に発売を開始した。 2000 年9月29日に再審査申請を行った結果、2003年11月26日薬事法第14条第2項各号(承認拒否事由)のいずれにも該当しないとの再審査結果を受けた。

親族

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実弟は佐藤宗司(元日本フィリップス株式会社相談役およびフィリップス・ライティング株式会社取締役会長)、 妻は節子(東京女子医科大学卒、小児科医)、妻の姉は水野信子(東京女子医科大学卒、耳鼻科医)信子の夫は久保孝(京都大学医学部卒 内科医)孝は妻の信子と共に東京代々木に赤心堂病院(救急)を開業し、現在、赤心堂病院は息子の久保宏隆(慈恵医科大学卒)が赤心堂クリニックとなり開業している。隆一の妻 節子の弟は水野昭平(社会医療法人社団 昭愛会元 理事長および創立者 / 水野病院 [現: 水野記念病院 ] 創立者。長女は誠子(国立音楽大学卒 声楽家)、次女 美知子(東京女子医科大学卒 調布市つつじが丘で佐藤小児科医院を開業 現在は閉院、三女 則子(日本医科大学卒 国立病院機構埼玉病院皮膚科医長、現在 大塚駅前南口皮膚科開業/院長)

書著

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参考資料

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脚注

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  1. ^ 博士論文書誌データベース