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佐藤昭大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 昭大
名前
愛称 アキ、さんま
カタカナ サトウ アキヒロ
ラテン文字 SATO Akihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-08-30) 1986年8月30日(38歳)
出身地 三重県三重郡朝日町
身長 185cm
体重 78kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
2002-2004 日本の旗 サンフレッチェ広島
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2010 日本の旗 サンフレッチェ広島 38 (0)
2007 日本の旗 愛媛FC (loan) 28 (0)
2010 日本の旗 鹿島アントラーズ (loan) 0 (0)
2011-2015 日本の旗 鹿島アントラーズ 10 (0)
2016-2018 日本の旗 ロアッソ熊本 82 (1)
2019-2020 日本の旗 モンテディオ山形 13 (0)
通算 171 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

佐藤 昭大(さとう あきひろ、1986年8月30日 - )は、日本三重県三重郡朝日町出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。ポジションは、GK広島県立吉田高等学校卒業

来歴

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プロ入り前

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朝日中学校時代から地元三重県で八田直樹とともに将来を嘱望されており、地元の強豪・三重県立四日市中央工業高等学校から誘われたが、最終的にはサンフレッチェ広島ユースに入団[注 1][1]

2003年春にはトップチームのキャンプに髙萩洋次郎前田俊介髙柳一誠と共に招集され、その後2種登録選手になる。ユースでは同年夏ごろから正GKとして活躍、高円宮杯3位、Jユースカップ優勝などに貢献した。2004年も引き続き2種登録される。同年、トップチームの第2GKを務めていた林卓人が腰の手術を行いシーズン序盤を欠場したため、河原正治を押しのけ開幕戦に高校3年生ながらベンチ入りメンバーに抜擢され[2]、その後リーグ戦7試合・リーグカップ3試合にベンチ入りした[注 2]。一方ユースではキャプテンに選ばれ[1]クラブユース選手権連覇、高円宮杯初優勝、Jユースカップ準優勝に貢献した。

サンフレッチェ広島

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2005年、トップ昇格[注 3]。同年10月15日FC東京戦において 下田崇の負傷退場により急遽出場、これがJリーグ初出場となった[3]。その後、下田は怪我によりシーズン絶望、リーグ戦の残り全試合でスタメン出場した。翌2006年以降、下田の前に出場機会が与えられなかった。

2007年、出場機会を求めて愛媛FC期限付き移籍。リーグ戦2節から川北裕介を押しのけレギュラーを奪い28試合に出場したものの、自身の怪我やチーム状況からその後川北に再びレギュラーを奪われてしまった[3]

2008年、広島に復帰。同年6月から正GKの下田と第2GKの木寺浩一の怪我による離脱に伴い、レギュラーとなり24試合に出場した[3]。しかし、2009年4月18日のJ1第6節対アルビレックス新潟戦にてペドロ・ジュニオールと激突し負傷退場[4]。右足後十字靭帯断裂により長期離脱となった[5]。その後は中林洋次にレギュラーを明け渡した。

鹿島アントラーズ

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2010年小澤英明の退団に伴い第2GKを探していた鹿島アントラーズに期限付き移籍。不動の正GK曽ヶ端準の前に出場機会はなかったが、2011年に完全移籍した[6]。2012年からは杉山哲の退団に伴い背番号1を継承した。2012年4月18日、Jリーグヤマザキナビスコカップのコンサドーレ札幌戦で移籍後初出場。その後は出場機会機会は少ないながらも、カップ戦を中心に出番を得た。

2015年は、トニーニョ・セレーゾ監督によって2014年まで不動の正守護神として連続出場を続けていた[注 4][7] 曽ヶ端を差し置いて開幕スタメンに抜擢。広島時代以来約6年ぶりとなるリーグ戦出場を果たしたが、清水エスパルスに1-3で敗れた。その後控えに戻ったが、曽ヶ端が負傷した中盤戦ではスタメンに名を連ねていた。しかし、トニーニョ・セレーゾが更迭され石井正忠へ監督が代わると曽ヶ端がレギュラーに戻り、ベンチを暖めるようになった。11月26日、今季限りで鹿島を退団することが発表された[8]

ロアッソ熊本

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12月25日ロアッソ熊本への完全移籍加入が発表された。移籍後は広島でもポジションを争った原裕太郎から定位置を奪い、すぐさまチームの正GKとして第13節と天皇杯2試合を除く全試合に先発した。2017年になると畑実野村政孝にポジションを奪われるようになるが、2018年になるとその座を奪還した。

モンテディオ山形

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2019年1月5日モンテディオ山形への完全移籍が発表された[9]。同年は守護神である櫛引政敏の前に出番はなかったが、2020年に櫛引がシーズン途中で負傷によりチームを離脱するとスタメンに抜擢。しかし、ミン・ソンジュンの離脱により急遽加入した藤嶋栄介が夏場以降はポジションを確保すると再び控えに回った。

2020年12月12日、現役引退することを発表した[10]

エピソード

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所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 広島Y 16 - - - 1 0 1 0
2005 広島 31 J1 8 0 0 0 2 0 10 0
2006 0 0 1 0 0 0 1 0
2007 愛媛 21 J2 28 0 - 0 0 28 0
2008 広島 31 24 0 - 4 0 28 0
2009 J1 6 0 1 0 2 0 9 0
2010 鹿島 29 0 0 0 0 0 0 0 0
2011 0 0 0 0 0 0 0 0
2012 1 0 0 2 0 1 0 3 0
2013 0 0 2 0 0 0 2 0
2014 0 0 1 0 0 0 1 0
2015 10 0 0 0 2 0 12 0
2016 熊本 30 J2 41 0 - 0 0 41 0
2017 10 1 - 0 0 10 1
2018 31 0 - 0 0 31 0
2019 山形 0 0 - 1 0 1 0
2020 13 0 - - 13 0
通算 日本 J1 24 0 7 0 7 0 38 0
日本 J2 147 1 - 5 0 152 1
日本 - - 1 0 1 0
総通算 171 1 7 0 13 0 191 1
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2010 鹿島 29 0 0
2011 0 0
2015 1 0 0
通算 AFC 0 0
出場歴

タイトル

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クラブ

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サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島
鹿島アントラーズ

代表歴

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指導歴

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脚注

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注釈
  1. ^ 同期生に前田・髙柳・髙萩・森脇良太桒田慎一朗藤井大輔大屋翼冨成慎司ら。
  2. ^ 2ndステージからチームが上野秀章を補強したことによりベンチから外れている
  3. ^ 同期入団は前田、髙柳、森脇、桒田、入船和真中尾真那西河翔吾
  4. ^ 2007年から2014年までの8シーズンにわたり、Jリーグ記録となる244試合連続フル出場中であった。
  5. ^ なお、ゴールキーパーによるJリーグ公式戦での得点は2014年の山岸範宏以来通算8例目である。
出典
  1. ^ a b 飛翔へ サンフレの新人たち”. 中国新聞 (2005年1月20日). 2009年8月6日閲覧。
  2. ^ 公式記録”. Jリーグ公式 (2004年3月13日). 2010年1月10日閲覧。
  3. ^ a b c 紫熊倶楽部』2008年12月号、30-34頁
  4. ^ 広島ドローも守護神佐藤昭重傷か”. 日刊スポーツ (2009年4月18日). 2009年5月23日閲覧。
  5. ^ 佐藤昭大選手の検査結果負傷について”. サンフレッチェ広島公式 (2009年5月28日). 2009年5月28日閲覧。
  6. ^ 佐藤昭大選手の完全移籍について”. 鹿島アントラーズ公式 (2010年12月27日). 2011年1月2日閲覧。
  7. ^ 中澤、連続試合フル出場がついに途絶えるも、記録はやはり偉大だった。歴代トップの曽ヶ端(鹿島)の記録を超えられる可能性のある選手は?【Jリーグ】”. Jリーグ公式 (2018年8月22日). 2018年8月22日閲覧。
  8. ^ 佐藤昭大選手の退団について”. 鹿島アントラーズ公式 (2015年11月26日). 2015年11月26日閲覧。
  9. ^ 佐藤 昭大選手 完全移籍加入のお知らせ”. モンテディオ山形公式 (2019年1月5日). 2019年1月5日閲覧。
  10. ^ 佐藤昭大選手 現役引退のお知らせ”. モンテディオ山形公式 (2020年12月12日). 2021年1月5日閲覧。
  11. ^ 熊本GK佐藤が劇的弾、GKゴールはJでは8例目の快挙 山形は半数で絡む”. ゲキサカ (2017年3月12日). 2017年3月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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