佐山優
佐山優 | |
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第11回阪神スプリングJ表彰式(2009年3月14日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
京都府京都市伏見区 (出生地は栃木県足利市) |
生年月日 | 1943年3月24日(81歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
杉村政春(1954年 - 1971年) 杉村一馬(1971年-1977年) 服部正利(1977年-1978年) 池田三郎(1978年-1983年) |
初免許年 | 1961年 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 1983年 |
重賞勝利 | 8勝 |
通算勝利 | 1643戦204勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1983年(1984年開業) |
調教師引退日 | 2014年(定年) |
重賞勝利 | 23勝 |
G1級勝利 | 4勝 |
通算勝利 |
6847戦511勝 (中央6825戦509勝、地方22戦2勝) |
経歴 | |
所属 | 栗東T.C.(1984年-2012年) |
佐山 優(さやま まさる、1943年3月24日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属していた元調教師、元騎手。栗東トレーニングセンター所属。京都府出身。
1961年に中央競馬で騎手デビュー。京都大障害を春秋連覇したタカライジンなどに騎乗し、1983年までに障害競走の重賞8勝を含む204勝を挙げた。騎手引退後の1984年より厩舎を開業。「ヒシ」の冠名で知られた阿部雅一郎の知遇を得、1995年のスプリンターズステークス優勝馬ヒシアケボノ、2002年から2003年にGI競走で3勝を挙げたヒシミラクルなどを手掛けた。2014年に定年引退。
舅は騎手・調教師の池田三郎。
経歴
[編集]1943年、栃木県足利市に生まれる[1]。出生名は松田優[1]。太平洋戦争中に実父が戦死し、地方競馬の足利競馬場で厩務員を務めていた叔父・佐山小太郎に育てられた[1]。後に小太郎が国営競馬の京都競馬場へ移ったことに伴い、優も京都で育つ[1]。小太郎は京都で名門の伊藤勝吉厩舎に所属し、優駿競走(日本ダービー)優勝馬タチカゼ、阪神3歳ステークスなど27勝を挙げた牝馬ワカクサを担当している[1]。
伊藤厩舎の主戦騎手だった杉村一馬に憧れて騎手を志し、11歳の時から厩舎で騎手見習いとして過ごした[1]。見習い時代には、杉村が乗って桜花賞に優勝するワカクモ(テンポイント、キングスポイントの母)の調教も担当した[1]。
18歳となった1961年に騎手免許を取得[2]。同年3月に一馬の父・杉村政春厩舎からデビューし、4月11日に初勝利を挙げた。体重が重かったため2年目から障害競走を中心に騎乗し[2]、4年目の1964年5月、フジノオーのライバルとして知られたタカライジンに騎乗して京都大障害(春)を制し、重賞初勝利を挙げた。同馬では秋の京都大障害も制し、春秋連覇を達成している。以後も平地での騎乗も兼業しながら、障害で重賞勝利を重ねた。1967年には京都大障害を含む障害11勝、平地でも10勝を挙げた。1971年に杉村政春の死去に伴い、一馬の厩舎に移籍。その後服部正利厩舎を経て、騎手生活晩年には舅の池田三郎厩舎に所属した。
1983年に4度目の受験で調教師免許を取得し、騎手を引退。通算1643戦204勝(うち障害404戦79勝)。重賞8勝は全て障害競走で挙げた。
1984年、死去した池田三郎の後を引き継いで厩舎を開業[3]。3月に初勝利を挙げ、同年7月にはトーワカチドキが金鯱賞を制し、調教師としての重賞初勝利を挙げた。以後しばらくは年間10勝前後を挙げる中堅から下位の成績であったが、1990年に「ヒシ」の冠名を使用した有力馬主・阿部雅一郎と知り合い、以後その所有馬を管理することで成績が向上していった[4]。1992年にはヒシマサルなどによる重賞4勝を含む39勝を挙げて勝利度数で全国4位に付け、優秀調教師賞を初受賞。1995年12月にはヒシアケボノがスプリンターズステークスを制し、GI競走を初制覇。小太郎と二代のGI級競走優勝を果たした。翌1996年にはヒシナタリーなどで重賞6勝を挙げ、2度目の優秀調教師賞を受賞した。
2000年代に入るまで短距離競走で活躍する馬が多かったことから「短距離厩舎」との評もあり[3]、佐山自身「中距離、長距離と混ぜ合わせてどこでもGIを勝てる馬が欲しい[3]」と語っていたが、2002年に長距離競走の菊花賞においてヒシミラクルが10番人気という低評価を覆して優勝し、クラシック競走を初制覇を果たす。同馬は翌年の天皇賞(春)と宝塚記念をいずれも人気薄で制し、同年の最優秀父内国産馬に選出された。
以後も複数の重賞勝利馬を管理し、2013年2月にはJRA通算500勝を達成。翌2014年2月をもって70歳定年により調教師を引退した。調教師としての通算成績は6847戦511勝(うち地方22戦2勝)、GI競走4勝を含む重賞23勝。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 125 | 126 | 149 | 1239 | .101 | .203 |
障害 | 79 | 52 | 63 | 404 | .196 | .324 |
計 | 204 | 178 | 212 | 1643 | .124 | .233 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 1961年3月19日 | - | バンシユン | - | - | 5着 |
初勝利 | 1961年4月1日 | - | オクミドリ | - | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1962年6月24日 | アラブ大障害(春) | ダイヤアロー | 6頭 | 4 | 6着 |
重賞初勝利 | 1964年5月3日 | 京都大障害(春) | タカライジン | 5頭 | 1 | 1着 |
GI級初騎乗 | 1967年7月2日 | 宝塚記念 | ワカクモ | 8頭 | 6 | 7着 |
主な騎乗馬
[編集]- タカライジン(1964年京都大障害・春、京都大障害・秋)
- ギヤルソンヌ(1965年アラブ大障害・秋)
- ミホノマツ(1967年京都大障害・春)
- キタシンザン(1969年阪神障害ステークス・春)
- フェアブァイタル(1970年京都大障害・春)
- ツキヒデキング(1970年阪神障害ステークス・春)
- フジチャイナ(1974年阪神障害ステークス・秋)
調教師成績
[編集]開催 | 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
中央 | 平地 | 492 | 543 | 533 | 6653 | .074 | .156 |
障害 | 17 | 12 | 14 | 172 | .099 | .169 | |
計 | 509 | 555 | 547 | 6825 | .075 | .156 | |
地方 | 平地 | 2 | 5 | 1 | 22 | .091 | .308 |
総計 | 511 | 560 | 548 | 6847 | .075 | .156 |
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1984年3月4日 | 1回阪神4日5R | - | ケーティサクラ | - | - | 17着 |
初勝利 | 1984年5月20日 | 3回阪神2日4R | - | リンドムーン | - | - | 1着 |
重賞初出走 | 1990年1月28日 | 1回阪神2日11R | 京都牝馬特別 | ファンドリポポ | 14頭 | 8 | 11着 |
重賞初勝利 | 1984年7月8日 | 2回中京8日10R | 金鯱賞 | トーワカチドキ | 15頭 | 1 | 1着 |
GI初出走 | 1990年5月20日 | 3回東京2日10R | 優駿牝馬 | トーワルビー | 20頭 | 7 | 10着 |
GI初勝利 | 1995年12月17日 | 5回中山6日10R | スプリンターズS | ヒシアケボノ | 16頭 | 1 | 1着 |
主な管理馬
[編集]GI競走優勝馬
[編集]太字はGI競走
その他重賞競走優勝馬
[編集]- トーワカチドキ(1984年金鯱賞)
- ヒシマサル(1992年きさらぎ賞、毎日杯、京都4歳特別)
- ユウキトップラン(1992年CBC賞)
- ゴールドマウンテン(1994年阪急杯、札幌スプリントステークス)
- トーワウィナー(1995年CBC賞 1996年阪急杯)
- ヒシナタリー(1996年フラワーカップ、小倉記念、ローズステークス、阪神牝馬特別)
- ヒシピナクル(1999年ローズステークス)
- キョウワハピネス(2004年ファルコンステークス)
- トーワヒヨシマル(2009年阪神ジャンプステークス)
- メリッサ(2010年北九州記念)
- スマートギア(2012年中日新聞杯)
受賞
[編集]- 優秀調教師賞(関西)2回(1992年、1996年)
出典
[編集]参考文献
[編集]- 木村幸治『調教師物語』 (洋泉社、1997年) ISBN 978-4896912920
- 芦谷有香『栗東厩舎探訪記(3)』(翔雲社、2001年)ISBN 978-4921140120