佐久間盛遠
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佐久間 盛遠(さくま もりとお、寛文2年(1662年) - 享保5年9月29日(1720年10月30日))は、江戸時代の旗本。佐久間氏の一族。実は佐久間勝種の次男。従兄勝興の養子となった。初め勝秀を名乗る。また勝春とも名乗った。通称は四郎次郎。妻は渡辺伊右衛門時の娘。子に佐久間勝忠。
寛文4年(1664年)12月10日、養父勝興の死去により3歳で家督(信濃国水内郡、近江国高島郡、3000石=赤沼知行所)を相続。
天和2年(1682年)8月11日、実父勝種が訴えにより取り調べを受けた際、那須資彌にお預けとなり、知行所は召し上げられた。22日に勝種の遠流が決定すると、これに連座して亀井茲親にお預けとなった。その後、天和3年(1683年)6月25日に赦された。
元禄3年(1690年)8月15日、小普請となり蔵米200俵を賜った。
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第533」
参考文献
[編集]- いいづな歴史ふれあい館特別展図録『飯綱の地をひらいた“殿様”‐佐久間兄弟と長沼藩・飯山藩』2015年