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佐久間長利

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佐久間長利
時代 江戸時代中期
生誕 貞享3年(1686年
死没 延享5年5月30日1748年6月25日
別名 通称:三之丞、三郎左衛門、藤左衛門
号:専鯉、蓼雨、長水、麥阿、柳居、眠柳
庵号:松籟庵、春日庵、一円窓など
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川吉宗
氏族 佐久間氏
父母 父:佐久間長恒、母:小川長左衛門の娘
兄弟 長正、丑之助、長利
滝川貞宴の娘
養子:長孝蔵次益信の子)
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佐久間 長利(さくま ながとし)は、江戸時代中期の旗本俳人柳居と号する。『五色墨』運動の中心的人物。

来歴

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父は幕府御家人だった佐久間長恒、母は小川長左衛門某の娘[1]

享保中頃まで水間沾徳・沾州に繋がる俳人として活躍し、沾徳追善集『白字録』編集に協力した沾州門の重鎮だった[1]1731年享保16年)『五色墨』刊行後は稲津祇空と親密になり、沾州から離脱し、祇空の死後は太田巴静横井也有らと交流し、やがて中川乙由を信奉して乙由門下として活躍する[1]1740年元文5年)尾張獅子門俳人と親交を結び、同年冬には門人の秋瓜と筑波周辺を旅行して蕪村と交流[1]

1741年寛保元年)に養子の長孝が小十人に列した後、俳諧活動に専念した[1]1748年延享5年)63歳で没する。墓所は浅草の東国寺。

門人

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脚注

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  1. ^ a b c d e 岡本勝雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、361頁。 

参考文献

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