佐久間政実
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄4年(1561年) |
死没 | 元和2年11月7日(1616年12月15日) |
別名 | 通称:河内守 |
官位 | 従五位下河内守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 豊臣秀吉→秀頼→徳川家康 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間与六郎[1] |
兄弟 | 与六郎[3]、政実 |
子 | 実勝 |
佐久間 政実(さくま まさざね)は、安土桃山時代の武将。豊臣氏の家臣。江戸時代初期の旗本。
略歴
[編集]佐久間与六郎の子[1]とされるが、この与六郎を『寛政重修諸家譜』では盛明としているが、『尾張群書系図部集』によるとこれは間違いで、この与六郎は盛明の子である家勝をさすという[4]。
文禄3年(1594年)春、伏見城築城の普請奉行の1人となった。
慶長2年(1597年)9月6日、従五位下河内守に叙任された。豊臣姓を下賜された。
慶長5年(1600年)、徳川家康による会津征伐に従い、下野国小山に赴いて以来、徳川氏に仕える。東軍として関ヶ原の戦いに参加した。
徳川家の治世で、普請奉行、伏見町奉行などを歴任した。元和2年(1616年)に没。享年56。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年、83頁。ASIN B000J9GTRU
- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト版)新人物往来社、1990年、365頁。ISBN 4404017529。