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佐々木嘉太郎 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代佐々木 嘉太郎(ささき かたろう[1]、旧姓・中村1841年8月1日天保12年6月15日[2] - 1914年大正3年)12月3日[3][4])は、日本商人呉服商)、実業家、政治家貴族院多額納税者議員[5]、青森県の大地主[6]、青森県多額納税者[2][7][8]。五所川原銀行頭取[1][2]。族籍は青森県平民[2][8]勲四等[1][9]

経歴

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陸奥国津軽郡金木村(現青森県五所川原市)の農家に生まれた。中村半治郎の長男[2][8]。12歳のときに五所川原の呉服商に丁稚奉公。佐々木喜太郎の養子となった[8]1867年分家し、一家を創立した[8]。分家した嘉太郎が木綿雑貨を扱うことにした店の屋号は「又古」だった。

1889年以降、北津軽郡会議員、県税調査委員等を務めた[1]1895年津軽鉄道の設立に参画した[3]1897年、五所川原銀行を創業した[3]1904年9月29日、多額納税者として貴族院議員に選出され[3][10]1906年10月10日に辞職した[11]

架橋工事や鉄道敷設事業などでも活躍[3]。1914年12月3日に死去[4]

人物

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「布屋嘉太郎」から「布嘉」と呼ばれるようになった。一代にして巨万の富を築いた[5]。直接国税総納額は、1890年出版の『帝国議会議員選挙者名鑑』によると「1658円8銭9厘」[12]1898年出版の『全国多額納税者互選名鑑』によると「2193円96銭5厘」[13]である。住所は青森県北津軽郡五所川原町[2][8]

家族・親族

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佐々木家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d 『議会制度七十年史 第1』192頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第3版』さ50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e 佐々木 嘉太郎とはコトバンク。2016年11月15日閲覧。
  4. ^ a b 『青森県人名録』234頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月16日閲覧。
  5. ^ a b 『青森県名鑑 大正四年特別大演習記念』94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月16日閲覧。
  6. ^ 『日本現今人名辞典』さ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月7日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第17版』全国多額納税者 青森県之部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月27日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第4版』さ26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月15日閲覧。
  9. ^ a b 『大正人名辞典』667頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月17日閲覧。
  10. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  11. ^ 『官報』第6987号、明治39年10月11日。
  12. ^ 『帝国議会議員選挙者名鑑』第二編 貴族院多額納税者46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月23日閲覧。
  13. ^ 『全国多額納税者互選名鑑』255頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月23日閲覧。
  14. ^ a b 『人事興信録 第13版 上』サ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月15日閲覧。
  15. ^ 人事興信録4版ひ40

参考文献

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  • 後藤本馬編『帝国議会議員選挙者名鑑』金松堂、1890年。
  • 梅田正勝編『全国多額納税者互選名鑑』溝口摂弥、1898年。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第17版』交詢社、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 高谷繁太郎、江馬英三郎編『青森県名鑑 大正四年特別大演習記念』青森県行幸記念協会、1917年。
  • 東奥日報社編『青森県人名録』東奥日報社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。