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住友金属ギラソール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
住友金属ギラソール
原語表記 住友金属排球団
ホームタウン 福岡県北九州市
創設年 1951年
廃部年 1998年
チーム所在地 福岡県北九州市

住友金属ギラソール(すみともきんぞくギラソール)は、福岡県北九州市を本拠地に活動していた、住友金属の男子バレーボールチームである。社内名称は「住友金属排球団」。

歴史

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1951年に小倉製鋼バレーボール部(9人制)として創部。親会社の変遷に伴い、住友金属小倉製鉄所、住友金属となった。チーム結成直後の1952年には全日本実業団大会で八幡製鉄(現:堺ブレイザーズ)を破り初優勝。翌1953年には全日本総合選手権(9人制)で優勝している[1]

バレーボール日本リーグには第1回から参加した。苦戦することが多かったが、日本リーグには通算9シーズン在籍している。

1993年の実業団リーグ(2部リーグに当たる)で優勝し、7年ぶりのトップリーグ復帰を決める。翌年よりスタートした第1回Vリーグに参戦。国産チームで臨むが、1勝20敗の最下位で実業団リーグへ降格となる。その後は外国人選手を獲得し、チーム強化に努める。その甲斐もあり、1997年の実業団リーグで優勝し、Vリーグへ復帰を果たす。ロシア代表のイリア・サベリエフを加えて挑んだ第4回Vリーグでは開幕から善戦、好調な出だしを見せる。しかし、リーグ開幕直後の1997年12月17日、チームの翌年3月をもっての休部が公表される(同時に男子バスケットボール部も休部が発表された)。理由は「外国人選手や契約選手を登用しなければ上位で戦うことは難しく、当社の企業スポーツの目的と離れてきている」といったものであった。 休部発表後もチームは好調をキープし、一時は3位まで順位を上げるも、終盤にサベリエフの体調不良から突如ブレーキがかかり、最終的に10勝11敗の6位で最後のリーグを終えた。

リーグ終了後の1998年3月をもって休部・活動休止。

エピソード

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  • チームの休部後、他チームに移籍しなかったキャプテンの宮本守をはじめとしたOBを中心に、クラブチーム・福岡ワンダーズを立ち上げ活動を行っていた。九州代表としてかながわ・ゆめ国体にも出場(成年男子の部で4位入賞)。しかしこの後、宮本がNCI2000年廃部)に移籍することとなり、それ以来チームは実質活動休止状態となった。
  • チームの愛称である「ギラソール」はスペイン語でひまわり(チーム本拠地北九州市の「市の花」に指定)を意味する。
  • 地元である九州出身の選手の在籍率が非常に高かった。
  • 所属選手であった高尾和行によって2021年に設立された女子バレーボールチーム福岡ギラソールにチーム名が用いられた。

成績

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主な成績

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プレミアリーグ日本リーグ/Vリーグ
  • 優勝なし
黒鷲旗全日本選抜
  • 優勝 2回(1956年、1958年)
国民体育大会成年男子(6人制)
国民体育大会成年男子(9人制)
全日本総合(9人制)
  • 優勝 4回
全日本実業団(9人制)
  • 優勝 7回

年度別成績

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大会名 順位 参加チーム数 試合数 勝率
日本リーグ 第1回 (1967/68) 6位 6チーム 10 2 8 0.200
第2回 (1968/69) 4位 6チーム 10 3 7 0.300
第3回 (1969/70) 6位 6チーム 10 2 8 0.200
実業団リーグ 第2回 (1970/71) 優勝 6チーム 10 10 0 1.000
第3回 (1971/72) 準優勝 6チーム 10 8 2 0.800
第4回 (1972/73) 3位 6チーム 10 6 4 0.600
第5回 (1973/74) 準優勝 6チーム 10 8 2 0.800
第6回 (1974/75) 5位 6チーム 10 2 8 0.200
第7回 (1975/76) 3位 6チーム 10 5 5 0.500
第8回 (1976/77) 準優勝 6チーム 10 6 4 0.600
第9回 (1977/78) 準優勝 6チーム 10 7 3 0.700
第10回 (1978/79) 準優勝 6チーム 10 8 2 0.800
第11回 (1979/80) 準優勝 6チーム 10 8 2 0.800
日本リーグ 第14回 (1980/81) 5位 8チーム 14 7 7 0.500
第15回 (1981/82) 7位 8チーム 21 7 14 0.333
実業団リーグ 第14回 (1982/83) 優勝 6チーム 10 9 1 0.900
日本リーグ 第17回 (1983/84) 7位 8チーム 21 4 17 0.190
第18回 (1984/85) 7位 8チーム 21 3 18 0.143
実業団リーグ 第17回 (1985/86) 優勝 8チーム 14 14 0 1.000
日本リーグ 第20回 (1986/87) 7位 8チーム 21 4 17 0.190
第21回 (1987/88) 8位 8チーム 14 2 12 0.143
実業団リーグ 第20回 (1988/89) 5位 8チーム 14 6 8 0.429
第21回 (1989/90) 5位 8チーム 14 6 8 0.429
第22回 (1990/91) 7位 8チーム 14 2 12 0.143
第23回 (1991/92) 5位 8チーム 14 6 8 0.429
第24回 (1992/93) 4位 8チーム 14 7 7 0.500
第25回 (1993/94) 優勝 8チーム 14 14 0 1.000
Vリーグ 第1回 (1994/95) 8位 8チーム 21 1 20 0.048
実業団リーグ 第27回 (1995/96) 3位 8チーム 14 9 5 0.648
第28回 (1996/97) 優勝 8チーム 14 14 0 1.000
Vリーグ 第4回 (1997/98) 6位 8チーム 21 10 11 0.476

在籍していた主な選手

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脚注

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  1. ^ バレーボールマガジン 1998年1月号 99ページ

関連項目

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